あの埴谷さんは、いま―

あの埴谷さんは、いま―

四六判/上製/本文262頁
発行日:2013/7/10
定価:2400円+税
ISBN978-4-88032-409-8

水澤葉子著

水澤葉子(みずさわ・ようこ)プロフィール

1936年、宮城県生まれ。同人誌「山形文学」を経て「ぼんがら」同人。個人同人誌「はにや」創刊(現在、既刊15号)。軽印刷業、喫茶店自営を経て、現在、福島市にて認知症施設の手伝い。

オビ

     いまなお生きつづける〈埴谷雄高〉――
個人誌「はにや」を創刊するほどに『死霊』の虜となった著者が、
〈精神のリレー〉を目指して紡いだオマージュの試み。
付録(栞)に、立石 伯「憑依の力」寄稿

目次(創作2篇の題名)

あの埴谷さんは、いま――
妄想という名のやさしさ

「憑依の力」文芸評論家・立石 伯(付録の栞より抜粋)

 (冒頭略)
 優れた小説・絵画等の芸術作品は、同時代者や後世に予測できないほど大きな影響を与える場合がある。いわば憑きもののごとくに魂の奥深くに巣くってしまう。その上、発想や思考内容にも目に見えない力を及ぼしてしまう。影響関係として論じられ、さまざまな位相における感受性や魂の交響・照応、呪縛・隷属あるいは離反・反発など多岐にわたる現象を呈することになる。いうまでもなく、埴谷雄高におけるドストエフスキィもその典型のひとつにほかならない。
 本書の著者と面識がない私には、いつ埴谷雄高から影響をうけはじめたのかは不明である。小説の表現から類推すれば、図書館で中井英夫『虚無への供物』、夢野久作などを読み、それとともに埴谷雄高も視野に侵入してきたのかもしれない。そうだとすれば、昭和四〇年以後になる。『死霊』五章発表をきっかけに卒業論文の対象にしたという作中人物の配位からすれば、ずっと後の昭和五〇年代に埴谷世界への親炙を深めたのかもしれない。(書いた後に読んだ「あとがき」では、平成七年に『死霊』について独白していた埴谷雄高のテレビ画像かららしい。)
 想像力という言葉を避けて、「妄想」を濫用した二作品「あの埴谷さんは、いま――」と「妄想という名のやさしさ」の特徴について一言触れておく。前者は二〇××年、埴谷雄高生誕一〇〇年記念パーティが映画監督ルキノ・ヴィスコンティ邸で開かれるという設定からはじまる。場所は地上的桎梏がすべて超克されている「再生国」・黄泉の国である。埴谷雄高はこの国の住人となっていた敏子夫人に再会し、また「近代文学」同人の七人とも会合をもち、同人誌のあとをつぐ「七輪」を発刊するに到る。埴谷本人はといえば、『死霊』を一二章まで書きつづけ、ついに「完」を記すことになる。この国ではかつての文学的友人達、敬意をもって読み、鑑賞した外国の小説家や画家、音楽家なども時代と国の区別なく自由に往来することになっている。それ以上に着目すべきは、敏子夫人が懐胎し、ついに地上でなしえなかった子供を懐に抱くことになる点である。
『死霊』においては、三輪高志の恋人・尾木節子が彼の子供を懐胎し、祖母の強固な反対にあって、彼女は高志と同志の者と心中することになる。現実生活上では、夫である般若豊の思想的持論による反対にあい敏子夫人は懐胎した子供を堕胎した。自同律の不快を味わい、存在の革命をめざす者、過誤の宇宙のありようとその責任を糾弾する者には許されないこととされている。作者は埴谷雄高に心酔するとしても、類推すれば、敗戦後の女性として、女性の高度な自立を求める欲求として、高志的、豊的論理を転倒したいとひそかに思いつづけていたのかもしれない。
 (中略)
 作品、小説家・芸術家に敬意を覚え、その表現世界の虜になることはよく生じる精神的出来事である。ある場合、畏るべき精神的・肉体的事件を喚起する。夢魔に魅入られるごとくその世界や作家に取り憑かれてしまうからである。あるいはそれらが取り憑いてくる。ドストエフスキィ評価が定着後に、表現力・創造力をもぎ取られた追随者の彪大な骸の累積を目撃するのはわかりやすい消息である。さて、本書的試みが、どの程度まで成功しているか読者の判断や如何に。私は作品世界のさらなる構造上の錬磨や「再生国」内実の精緻さを望む。

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