「我を生まし足乳根の母」物語 近代文学者を生んだ母たち

「我を生まし足乳根の母」物語

四六判並製カバー装
発行日:2020/12/18
本文:220頁
装幀:高林昭太
定価:2200円+税
ISBN978-4-88032-460-9

中塚鞠子著

中塚鞠子(なかつか・まりこ)プロフィール

1939年岡山県北生まれ。富山大学薬学部卒業。日本文藝家協会、日本現代詩人会会員。
総合雑誌「イリプスⅡ」、「時刻表」、「小手鞠」同人。
【詩集】
 『絵の題』(1990年、白地社)
 『駱駝の園』(1997年、思潮社、第8回富田彩花賞受賞)
 『セミクジラとタンポポ』(2001年、思潮社)
 『約束の地』(2007年、思潮社、中原中也賞最終候補)
 『天使のラッパは鳴り響く』(2015年、思潮社)
【エッセイ集】
 『庭木物語』(2006年、編集工房ノア)
 『わたしの草木逍遥』(2017年、澪標)
【その他】
 「毎日郷土提言賞」準提言賞受賞「住民から市民へ」(1987年、毎日新聞社)

オビ(表)

 誰にでも母親はいるが母親を体験しない女性は多い。
 中塚鞠子は私にとってもっともふるい時期からの詩の友であるが、齢を経て、みずからも母親を経験しつつ過ぎ越しの日々を振り返ったとき、ふと、その内なる母親像を相対化してみたいと思ったにちがいない。といって、けっして専門的な心理学的な視点など借りるでない、どこまでも詩を書くひとりとしての位相に立って、いわば素朴に徹して文学者のなかの母親像を追いかけた。
 選び取られた二十篇は、小石をあつめたように、特別な思い入れにもとづいたものではない。逆にそこに、誰もが経験するだろうが見えない母と子をつなぐ不思議な回路を見ることになるだろう。若い世代の人たちにぜひ手にとってほしい一冊。
                          倉橋健一(詩人・文芸評論家)

オビ(裏)

 近現代文学史に登場する文学者たちは、〈母〉を描くことで自己の傑作を脱稿している。
 〈のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり〉 (『赤光』)
 一葉、啄木、茂吉から谷崎潤一郎、小林多喜二、佐多稲子、井上靖、深沢七郎らまで、作品に託して、〈母〉を造型することで己が生涯に不滅の橋頭堡を構築した群像二十人。
 中塚鞠子さんは、作品の影を刻印した作者たちの〈母〉の実像を探索する。作品に昇華する前の母に迫る。「あとがき」には、「この二十篇を書いてみて、彼らの原点が母親にあったことに、深く胸を衝かれた」とある。
 今度はあなた方が、二十人の作家の作品を読み、その〈母〉たちを知る〈時〉である。
                                   (編集部)

目次

一葉の暮らしを支えて…………………………樋口一葉の母・樋口あやめ(多喜)
つねに母は若く美しいもの……………………谷崎潤一郎の毋・谷崎 關
守り抜いた母の生活……………………………室生犀星の毋・林 ちか
父よりも母を慈しみ……………………………宇野浩二の毋・宇野キョウ
生涯、息子を信じて……………………………小林多喜二の毋・小林セキ
十五歳で稲子を生んで…………………………佐多稲子の母・高柳ユキ
身持ちが悪いと人はいうけれど………………林芙美子の毋・林 キク
早逝した先見の明の母…………………………堀 辰雄の毋・上條志気
順を育てた母の気概とプライド………………高見 順の毋・高間古代(こよ)
繭のなかから生まれて蔵のなかで育つ………井上 靖の毋・井上八重
感情の追憶における美しい母親像……………椎名麟三の母・大坪みす
笛吹川に生まれ笛吹川に死んでいった母……深沢七郎の母・深沢さとじ
すべてを飲み込んで逝った母…………………辻井 喬の母・堤 操
母娘二代の女性運動家の先駆者………………福田英子の毋・景山楳子(うめこ)
幕末の水戸藩に生きて…………………………山川菊榮の母・青山千世(ちせ)
我を生まし足乳根の母…………………………斎藤茂吉の毋・守谷いく
貧苦の中の生涯…………………………………石川啄木の毋・石川カツ
つよすぎた母がこの詩人を生んだ……………萩原朔太郎の母・萩原ケイ
二人の母に育てられた詩人……………………小野十三郎の毋・松野ヒサ、小野ユウ
哀しみをたたえた中也の幸福だった母………中原中也の毋・中原フク

あとがき

 母が亡くなったのは、私が結婚した翌年であった。私は母三十歳のときの子で、兄、姉、姉と続き私は三女である。小学校の教師をしながら三十歳までに四人の子を産んでいる。すでに十五年戦争に突入していたから、若い男の先生は兵隊に駆り出され少なく、勿論産休などなかった状態でも、病気になる以外、教師を辞めることはできなかったという。嫁ぎ先での嫁としての仕事もこなさねばならなかった。愚痴を言わない人だったが、子守りさんが連れてきた赤ん坊に、休み時間に宿直室でお乳を飲ませた話をふっと漏らしたことがある。
 私が生まれたときはさすがに教師は辞めていたようだが、仕事を辞めても舅、姑に仕え、畑仕事や家事(多いときは祖父・祖母・叔父・叔母・父・母・弟が生まれ子ども五人の十一人家族)が待っていた。これくらいの仕事は、茂吉の母守谷いくなら、平気でこなしていたかもしれない。が、母にはそんな生活に満たされないものがあったのであろう。夜遅くまで本を読んでいた。
 母の実家のあった村がダムに沈んだのは母が亡くなってからである。そこでは母の姉が医院を開いていた。里帰りは母の唯一の気の休まる刻であった。当時末っ子だった私はよくそこへ連れて行ってもらった。村人の反対・賛成を行政は乗り切って、結局ダムはできてしまった。その二十年を見つめて私は詩集『約束の地』を書いた。
 母と母の実家が私の前から消えて初めて、私は、故郷とは母とは、について考えざるを得なくなった。今回この本を書いた原点はそんなところにあった。
 が、取り組んでみると、作家や詩人たちの母親とのかかわりは、私のような単純なものではなかったのを知った。一人ひとりに当然ながら特殊なかかわりを持って詩人、作家たちはそれをそれぞれの形で取り込み消化し、文学作品に昇華させていった。母親との関係が、なんといっても切なかったのは椎名麟三であった。違った意味でまた、二十六歳で死んだ石川啄木も憐れであった。この二十篇を書いてみて、彼らの原点が母親にあったことに、深く胸を突かれたのだった。

「読書アンケート」から(「図書新聞」2021年7月24日号)

 *「2021年上半期読書アンケート」で同紙は72名の回答を掲載。各人3点をリストアップし、詩人・井川博年氏は3点のうち本書について次のように寄稿しています。

 副題が「近代文学者を生んだ母たち」。樋口一葉から中原中也までの、20人の「母」が採り上げられている。もちろん潤一郎の母も。大方は生母に多い「優しい母」であるが、犀星の養母や、椎名麟三の「恐ろしい母」もいる。こういう「母」を見つけたのが、女性詩人の〈眼〉であろう。

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