直知の真理
四六判上製/カバー装
発行日:2020/4/8
本文248頁
装幀:高林昭太
定価:2400円+税
ISBN978-4-88032-458-6
桶本 欣吾著
桶本欣吾の哲学シリーズ
光から時空へ
発行日:2011年1月
現代物理学の未踏の地をゆく哲学の書
饗動する世界の実相を直知のままに描出する
Amazonカスタマーレビュー:「とても興味深い『哲学』の書」 →こちら
桶本 欣吾(おけもと・きんご)プロフィール
1943年生まれ、2019年、急性リンパ性白血病のため他界(享年75)。早稲田大学西洋哲学科卒。著述に、『光から時空へ』『明けゆく次元』、次いで死去の直前まで本書『直知の真理』を執筆してきたが、病に克てず遺著となる。本書刊行により著者の哲学書3部作となる。ほかに短編集『迷宮行』、詩集『禍時刻』(以上、深夜叢書社刊)などがある。
→下記「著者略歴」参照
オビ(表)
未踏の地をゆく〈預言者の書〉 小坂国継(哲学者)
私が桶本欣吾の草稿を読んで感じた第一印象は、これはまさに預言者の書であるということであった。預言者の書であるというのは、何か自分の根本信念を伝えようとする強い意思が全編をとおして漲っているということである。そのことは叙述のスタイルにもあらわれている。……自説の正当性を論証していくのではなく、まるで託宣のごとくに宣告し告知していくのである。
オビ(裏)
さらば地上をこよなく愛した男よ! 福島泰樹(歌人)
文学部に通じるスロープを桶本欣吾が歩いてくる。やおらズボンに突っ込んだノートを取り出し私に見せる。書出しには、「
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前二作『光から時空へ』『明けゆく次元』で、
宇宙物理学の知見を踏まえつつ独自の哲学的探究を続けた桶本欣吾の遺著
「百年後になったら彼の本が読まれることだろうと思う……」
(『明けゆく次元』読者評より)
目次
第一章 真理認識の驚嘆 第二章 直知の真理論
第三章 真理認識と照明 第四章 もう一つの認識経験—弁証法
第五章 直知がみるところ 第六章 本質世界と本質価値
第七章 生成場の響動 第八章 現 象
第九章 仕組みの問題 第十章 生命と響動
*
解説……小坂国継「生きて躍動している言葉たち―『直知の真理』の編集に携わって」
跋………福島泰樹「さらば地上をこよなく愛した男よ!」
弔辞……齋藤愼爾
「あとがき」に代えて……桶本典子「父のこと」
桶本欣吾略歴
解説
小坂国継「生きて躍動している言葉たち――『直知の真理』の編集に携わって」(抜粋)
(小坂国継=哲学者、文学博士。日本大学名誉教授。宗教哲学・近代日本思想を専攻。
桶本欣吾とは早稲田大学第一文学部哲学科の同級生で1966年卒業。もっぱら西田幾
多郎を研究、『西田幾多郎の思想』『西洋の哲学・東洋の思想』ほか著書多数)
市井の哲学者桶本欣吾は不治の病と闘いながら、二種類の真理論を遺して逝った。それを是非とも出版してほしいというのが生前の故人の強い遺志であった。それで御家族の希望もあって、私にその編集業務を委託された。桶本とは長年にわたって交遊を結んでおり、また大学で哲学を講義してきたので、周囲の人からは適任者と見られたのであろう。私自身も友情の証として、喜んでその任を引き受けることにした。
(中略)
私が桶本欣吾の草稿を読んで感じた第一印象は、これはまさに預言者の書であるということであった。預言者の書であるというのは、何か自分の根本信念を伝えようとする強い意思が全編をとおして漲っているということである。そのことは叙述のスタイルにもあらわれている。全体が論文の形式ではなく、アフォリズムの形式をとっている。自分の考えを順を追って論理的に叙述していくのではなく、いわば大上段から裁断していくのである。自説の正当性を論証していくのではなく、まるで託宣のごとくに宣告し告知していくのである。表現形式としてはどこかニーチェに似ている。ニーチェもまた論証を嫌い、警句を好んだ。無論、著者が論文形式の書き方を知らなかったわけではなかろう。むしろ自分の考えを叙述するにあたって、あえて断言的で、警句的なスタイルを選択したのだろう。それが自分の考えを伝える最上の方法と考えたのではないかと思う。これは多くの独創的な思想家に共通した特徴である。
(中略)
なかなか難解な文章であるが、要するに、直知の哲学は現象界と実在界、すなわち四次元時空の世界とそれを超えた普遍的本質界を結びつける哲学であり、現象界を、それを超えた本質界から説明しようとする哲学である。そして現象界と本質界の両界を媒介するのが、「生成場」であるいうのである。われわれは生成場において本質界を直観し、本質界が生成場に流出しているのを直観する。そして、そのときには、先の現象界すなわち四次元時空の性格がまるで変化してくるというのである。万物の生成場における我はもはや通常の我ではなく、本質世界を直観する我であり、そうした我を著者は「霊体我」と呼んでいる。それは四次元時空を超えた我であり、——―これを著者は「自我の退場」と呼んでいる―——生成場における我である。
(中略)
本書の最終部分では著者の現代科学に対する造詣の深さが垣間見られる。ビッグバンとそれに先立つインフレーション理論、トーマス・クーンのパラダイム論、スティーブン・ホーキング、ブライアン・グリーン、佐藤勝彦、ユージン・ウィグナー、スティーブン・ワインバーグの等の量子宇宙論あるいは宇宙起源論等を参考にしながら、それらの知見と自分の思想を結びつけようとしている。この分野においては著者はなかなか博識であって、私は雑談や議論の際に、たびたび驚かされた記憶がある。
(後略)
跋 福島泰樹「さらば地上をこよなく愛した男よ!」 (抜粋)
(福島泰樹=歌人、台東区・法昌寺住職。桶本欣吾とは早稲田大学第一文学部哲学科
の同級生で1966年卒業。「短歌絶叫コンサート」を国内外1600ステージをこなす。
第32歌集『亡友』ほか『福島泰樹全歌集』、評論集『追憶の風景』など著作多数)
電話を切ったあと、滲みでる悲しみ抑えがたく、涙していた。出会ってから、すでに五十七年もの歳月が経過している。短歌雑誌に連載している日録「茫漠山日誌」を紐解くと、こんな記述がある。
昨夜、桶本欣吾から電話があった。実に懐かしい声だ。ゆたかな声量で淡々と入院に至る経緯を話してくれている。病状は、「急性リンパ性白血病」、夏目雅子や渡辺謙が罹った血液癌……。突如歩けなくなり、意識を喪い七月に入院(湘南鎌倉総合病院)。
「直ぐに行く」「どうか来ないでくれ!」
そんな遣り取りの後、優しげな口調で君は言った。
「どうしたことだろうね……、神様が定めたことだから……」「食事をすると下痢……」。
「こんな時こそ、詩を書けよ」。心を鬼にして私は言った。
(中略)
桶本と初めて会ったのは、一九六二年四月。
(中略)
君との最初の記憶は、五月になってからである。この春、文学部は本部のある早稲田キャンパスから戸山キャンパスに移転、私たちに新校舎での講義が待ち受けていた。
通用門を入ると、なだらかなスロープが文学部へ向かっている。
ワイシャツの腕を捲り、黒いサージのズボンの、両ポケットを膨らませた桶本が胸を張り、スロープを歩いてくる。精悍な面差しは、いつも熱に浮かされたように紅潮していた。顔見知りを見れば右手を挙げて「やぁ!」と礼するところから、いつしか「ハインリッヒ」と渾名され、「ヘルダーリン」(これは私の命名だ)とも呼ばれるようになる。ズボンの両ポケットを膨らませていたのは、ズボンを読みさしの文庫本やノート入れに使っていたからである。その佇まいはいつも情熱的で夢に浮かされているようでさえあった。
戸塚二丁目名曲喫茶「あらえびす」隠し飲むウイスキー壜 敗れたる身は
入学してほどない私を、視聴覚室に連れて行きベートーヴェンは、フルトヴェングラー指揮「交響曲第九」を聴かせてくれたのは、桶本であった。その足で彼は、戸塚二丁目のクラシック喫茶「あらえびす」に私を誘った。私語厳禁、一人がけの椅子と机、端正に仕切られた、中世の田舎の教会を思わせるこの小空間が、以後の私の孤独の場となってゆく。時をおかず私にニーチェの嵐を吹き込んだ桶本は、いつも大学ノートを帯同、間断なく湧き出ずる言葉の氾濫は、アフォリズムをもって書き継がれていった。
詩行に「、、、、、」を標した頁を開き、誇らかに『ヘルダーリン詩集』(角川文庫)を私に、読み聞かせる十代の桶本が見える。
いざさらば 青春の日よ 汝 恋の
薔薇(そうび)咲き匂う小路よ さらに汝達 かの漂泊者(さすらいびと)のあらゆる
小路よ
いざさらば かくて おお 故国の天空(みそら)よ
今はわが生を再び受け納(い)れ 祝福(ことほ)げよかし (吹田順助訳)
恋多き男でもあった。だが、その顚末のすべては私の胸の中にのみ納めておくこととしよう。
シュトルム・ウント・ドランク! 四年の歳月はたちまちのうちに過ぎるかにみえた。だが、卒業期、早大学費学館闘争の嵐が吹き荒れ、この間の桶本の記憶は私にはない。
(中略)
だが、ながい付合いの中で桶本と仏教について語り合った記憶はない。しかし、桶本が長い歳月をかけた研鑽と思索の末に到達しえた「生成場」なる新たなる名辞は、輪廻を超え経験を蓄積し個我を形成、すべての心的活動のよりどころとなる第八識「阿頼耶識」のアーラヤ(貯蔵庫)に通底しているように思われてならないのだ。すなわち、一切諸法は識(心)によって表象され、識より顕れ出でたものである。「識」とは、人間存在の根底をなす意識の流れを言う。すなわち眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識の「八識」である。
いまひとつ「生成場」論が書かれるに至った経緯であるが、若き日の仏教学者玉城康四郎、生命科学者柳澤桂子が懊悩の末に行き着いた「神秘体験」を、桶本欣吾もまた体験していたのではないだろうか。彼らの意識に根源的変革がもたらされるのは、体験以後のことであった。
ワイシャツの腕を捲って立っていた風に吹かれてただ立っていた
とまれ桶本欣吾は、「西東」に「生成場論」を発表することによって文芸創作ではない、新たなステージに立ったのである。それは、大論『光から時空へ』『明けゆく次元』『直知の真理』へと上りつめてゆくための第一歩であった。
(中略)
文学部に通じるスロープを桶本欣吾が歩いてくる。桶本は右手を上げ「やあっ!」と私を呼び止め、やおらズボンに突っ込んだノートを取り出し慌ただしく頁を開き、熱い目をして私に見せる。アフォリズムの書出しには、「深淵を覗き過ぎてはいけない……」と、ペン先を立て引き裂くような書体で荒々しく記されていた。
さらば、一生をかけて深淵を覗き続けた男よ! 君は君が哲学世界に名辞を付与した「霊体我」、「大生命」となって光溢れる「生成場」から愛しい家族や私たちの営みに熱い眼差しをこれからも注ぎ続けてくれることであろう。
さらば地上をこよなく愛した男よ! 二〇一九年歳晩三十日
「あとがき」に代えて 桶本典子 「父のこと」(抄)
広告会社の電通をほぼ定年で退職し、六十代半ばから取り組み始めたのが前二作『光から時空へ』『明けゆく次元』の自称「哲学」のスタイルです。大学時代に学んだ西洋哲学の知識に量子力学などを織り交ぜ、世界を解明したいとの情熱を傾けました。年月を経て、既存のジャンルにとらわれず、直截に表現したいとの思いも強くなったのかもしれません。
本書の元になった原稿は、この「哲学」ジャンルの第三弾として『明けゆく次元』出版直後から取り組んだものです。二年前に死病となる白血病に倒れてからも、
「あの三冊目が自分が生きてきた意味だ」
と言って、最後の入院の直前、亡くなる二ヵ月前まで手を入れ続けました。
亡くなる三週間前の病室でのことでした。話すのも億劫になったなか、目を閉じたままとぎれとぎれに言葉を紡ぎました。
「三島由紀夫は、人間を超えた大きなものの存在に気づいていて、でも小説の形に逃げてしまった。自分もきっと同じものに気づいているから、逃げずに書きたい」
少年期から七十代半ばまで、父の心にあり続けた「世界」を少しでも感じていただければ、望外の喜びです。 二〇一九年秋 長女・桶本典子
著者略歴
1943年(昭和18年) 桶本正夫・綾子の長男として北九州市門司区に生まれる。正夫は朝
日新聞社で広告局などに在籍、北海道支社長を務めた後、神奈川新聞社
社長、会長、名誉顧問等を務め2008年に死去。両親多忙のため、幼年
期は祖父母である桶本長治・ハルのもとで過ごす。
1950年( 7歳) 門司小学校に入学。
1951年( 8歳) 単身上京、赤羽小学校に転校。
1956年(12歳) 私立芝学園中等部・高等部入学。
1962年(18歳) 早稲田大学第一文学部哲学科入学。
1966年(23歳) 株式会社電通に入社。ラジオ・テレビ企画局から始まり、主にセールス
プロモーション担当としてオリンピックをはじめとするイベント事業
に携わる。長野五輪がイベント関連での最後の大きな仕事となる。
1980年(37歳) 短編集『迷宮行』(深夜叢書社)刊行。
1981年(38歳) 詩集『禍時刻』(深夜叢書社)刊行。
1982年(39歳) 短編小説「金色の森」を「早稲田文学」10月号に発表。
1988年(45歳) 小説「夜行列車」を「季刊月光」創刊号(福島泰樹主宰「月光の会」発
行)に発表。
2002年(59歳) 電通を退職。
2004年(60歳) 早稲田大学哲学科の西洋哲学・東洋哲学同級生による雑誌「西東」の創
刊同人となる。論文、インタビュー、短歌、小説などを網羅した哲学・
文芸の総合誌。創刊号に中編小説「芥子は金色に濡れて(前編)」発
表。
2005年(61歳) 哲学論文「生成場論」を「西東」2号に発表。
2006年(62歳) 哲学論文「ヘルダーリンの詩にみる生成場」を「西東」3号に発表。
2011年(68歳) 初の哲学書『光から時空へ』(深夜叢書社)刊行。「光のこと」を「大
法輪」6月号に発表。
2014年(71歳) 『明けゆく次元 我、物質、真理論』(深夜叢書社)刊行。
2018年(74歳) 50枚の哲学論文「続・明けゆく次元」を「ウェブマガジンプロメテウ
ス」(「知のアソシェーション」を謳う情報発信サイト)に投稿。
2019年(75歳) 急性リンパ性白血病のため死去。