大洪水の後で 現代文学三十年
四六判並製カバー装
発行日:2019/8/2
本文334頁
装丁:高林昭太
定価:2500円+税
ISBN978-4-88032-452-4
井口 時男著
井口時男(いぐち・ときお)プロフィール
1953年、新潟県(現南魚沼市)生れ。1977年、東北大学文学部卒。神奈川県の高校教員を経て1990年から東京工業大学の教員。2011年3月、東京工業大学大学院教授を退職。
1983年「物語の身体――中上健次論」で「群像」新人文学賞評論部門受賞。以後、文芸批評家として活動。
文芸批評の著書に、『物語論/破局論』(1987年、論創社、第1回三島由紀夫賞候補)、『悪文の初志』(1993年、講談社、第22回平林たい子文学賞受賞)、『柳田国男と近代文学』(1996年、講談社、第8回伊藤整文学賞受賞)、『批評の誕生/批評の死』(2001年、講談社)、『危機と闘争――大江健三郎と中上健次』(2004年、作品社)、『暴力的な現在』(2006年、作品社)、『少年殺人者考』(2011年、講談社)、『永山則夫の罪と罰』(2017年、コールサック社)、『蓮田善明 戦争と文学』(2019年、論創社)など。
句集に『天來の獨樂』(2015年、深夜叢書社)『をどり字』(2018年、深夜叢書社)がある。
オビ(表)
状況という磁場から
俺に食ひけがあるならば、
まづ石くれか土くれか ――ランボオ
存在論的な飢えと形而上学的な夢を彫塑した、
現代の〈深夜版〉的証言(齋藤愼爾)。
ポスト・モダンの浮力に抗して、
ぶれず、媚びず、群れず――貫く批評精神。
目次
〔編集部註: 著者が 「あとがき」で書かれたⅠ~Ⅳ各章の注釈を◆印の箇所に転記〕
Ⅰ 記憶喪失の季節に 1988―1990(昭和の終り、平成の初め)
1988年文芸時評「LITERATURE」から
「シンちゃん」の風景/生き延びる「空虚の中心」/コスモロジーの被曝
1988年文芸時評(図書新聞)から =5月号~12月号/’88文学回顧
ウソつきのパラドックス――ポスト・モダン文学の袋小路
「事故」と「悲劇」――ニヒリズムに抗して
記憶喪失者たち
「事実」という「素材」――渡部直己さんへ(往復書簡)
書評から
山本昌代『善知鳥』/秋山駿『人生の検証』――言葉の刺を抜くために
水村美苗『續 明暗』
◆Ⅰ章。昭和末の「記憶喪失」を加速させるだけの(ニセの)終りは稀薄なかたちで平
成の終りに反復されたばかりだ。そのことに多少の感慨はあるが、それ以上に、冒頭に
置いたせいか、あの「シンちゃん」があらためて気になっている。「シンちゃん」は以
後「30年」の日本語と日本社会のすべての現象の「兆候」だったのかもしれない、すく
なくとも 「シンちゃん」は、現在のネット言語に代表される悪意ある嘲弄や空疎な
「ケレン」ばか りの言語使用の様相(Ⅳ章)の隠れた淵源だったのではないか、など
と、過大な自己妄想 とは承知しつつ、思ってしまうのだ。
Ⅱ マイナー文学の方へ 1991―2000(湾岸戦争開始の1991年から)
1991年 文芸時評(共同通信配信)から =3~10月号
1992年 文芸時評(共同通信配信)から =3~12月号
身を切る「言語実験」――中上健次が遺したもの
倫理としての悪文
自分でその日を定め、創り出すこと
ファシズムの言語と言文一致体の地位
和漢混淆文の悲しみ
越境=リービ英雄
ディコンストラクション=高橋源一郎
内部の思想家――柳田国男
坂口安吾と太宰治――近代文学の終りに際して
桶を桶ということ――中野重治の正名(せいめい)
追悼・江藤淳
「治者」の孤独――江藤淳『成熟と喪失』
書評から(マイナー文学)
多和田葉子『三人関係』――紙の上の歩行失調
笙野頼子『説教師カニバットと百人の危ない美女』『時ノアゲアシ取リ』
室井光広『キルケゴールとアンデルセン』
車谷長吉『白痴群』――いのちを看取る(見取る)こと
◆Ⅱ章。私はある時期、「マイナー文学論」と題する評論集を構想していたことがあっ
た。「マイナー文学」という言葉はドゥルーズとガタリのカフカ論のタイトルから拝借
したが、私は自己流の意味で使おうとしていたのだった。本書でも定義しないまま章題
にした。「事実」とか「貧しさ」とか「吃語」とか「説話」とか「ハナシ」とか、舌足
らずの言葉であいまいに指し示そうとした文学イメージの総称だと思ってもらえばよ
い。要するに、通俗化したポストモダン現象が強いる言葉の浮力や村上春樹風「似非全
体小説=ファンタジー」の氾濫に苛立ちながら、当時の私が真剣に加担しようとしてい
た文学をまとめて括った言葉である。
Ⅲ 散乱する暴力の時代に 2001―2010
(9・11アメリカ同時多発テロで記憶される21世紀最初の2001年)
未成年の思考――埴谷雄高
ヴァニティを粉砕せよ
川嶋至が忘れられている
戦争が還暦を迎えた
世界を巻き添えにしないこと――橋川文三『柳田国男論集成』解説
高校生に「近代文」を教えよ
文学は亡び芥川賞は残る
田舎者の福音――山浦玄嗣『ケセン語訳新約聖書』
「中学生式」文学の行方
暴力の変容、文学の変容
きみはなし、花はなし
大江健三郎――ユーモアという思想
太宰治――「ひとでなし」の(メタ)フィクション
◆Ⅲ章。21世紀になって、現代文学――というより、正確には現在文学――への私の失
望と苛立ちはいっそうひどくなった。国際テロという巨大な暴力ではなく国内の少年
犯罪という小さな暴力と文学の関係を考えたり書いたりしながら、それでもこの時期、
かろうじて「ユーモア」という思想を手に入れつつあったことだけが、私の――人間と
しての――唯一の収穫だったろう。大事なのは「世界を巻き添えにしないこと」なの
だ。
Ⅳ 大洪水の後で 2011―2018
(3・11東日本大震災と福島第二原発炉心溶融の2011年と、日本および世界の秩序に
大打撃を与えた破局的な暴力の年から始まる)
それでも人は言葉を書く――大震災と文学
井口時男が読む『野火』
大震災と文学――戦後文学から
書評から(震災文学)
辺見庸『眼の海』/池澤夏樹『双頭の船』/佐伯一麦『還れぬ家』
辺見庸『青い花』/天童荒太『ムーンナイト・ダイバー』/齋藤愼爾句集『陸沈』
ケレンと(しての)暴力――芥川賞と大震災
東北白い花盛り
「毒虫ザムザ」として書くこと、語ること――『中上健次集』刊行に寄せて
追悼・秋山駿
Ⅰ/Ⅱ/Ⅲ「魂」を更新しつづけた人/Ⅳ「内部の人間」の和解
情報と文学
卵食ふ時口ひらく
密室化する現在
追悼・車谷長吉 /補遺:車谷長吉「鹽壺の匙」
災害と俳句
方言の力と文学
私の文学終焉体験記――「群系」の思い出
自死とユーモア――西部邁の死について
◆Ⅳ章。個人的には、2010年に腹部大動脈瘤の切除手術を受け、2011年3月、東日本
大震災の直後に退職し、リハビリしながら俳句を作り始めた時期である。とはいえ、私
の俳句はいまだ「ユーモア」にはいたらず、シニシズムとニヒリズムに侵されたイロ
ニーの中にある、というのが自己診断だ。最後に、その「ユーモア」を放擲しての西部
邁の自死は、私に、この国の文化も社会も決定的に「根底」というものを喪失してし
まったのだな、と思わせる事件だった。
あとがき
単行本未収録の短いエッセイだけを選んで一冊作らないか、と齋藤愼爾氏に声をかけてもらったのはもう三年も前のことだったが、なにしろ未収録エッセイがむやみに多いうえに、選ぶための基準、つまりは本のコンセプトにもあれこれ迷って、まごまごしているうちに元号が代わることになったので、それに便乗することにしたのである。
区切りよく「現代文学三十年」と副題したが、正確には一九八八年から二〇一八年まで三十一年間、ほぼ昭和の終りから平成の終りまでである。私は八三年に文芸批評の仕事を始めたのだが、八七年に高校教員を退職してやっと(仕方なく)文芸批評に本腰を入れ始めたのだった。だからこの三十一年間は自覚した文芸批評家としての私のほぼ全期間でもある。
時評的な小文を中心に集めた。ただの出し遅れの古証文でなく、今日の状況とリンクしつつ「現代文学三十年」の流れを概観できる一冊になっていれば幸いである。
とはいえ、私はもともと社会的関心が薄いうえに、ジャーナリスティックでもポレミカルでもないので、本書はこの「三十年」の重要なトピックをいくつも黙過しているだろう。加えて私は、世の中や文学を見る自分の視線がかなり斜視気味で視野狭窄症的であることを十分自覚している。文字どおり「葦(よし)の髄から」覗いたり細い管で「管見」したりしながら、かえって、その葦や管の尖端で自分の眼球を傷つけてしまうのがこの私だ。けれども、それを承知で読んでもらえば多少の役には立つだろうと思う。
八〇年代末から九〇年代初めにかけて三回担当した文芸時評(現代詩手帖、図書新聞、共同通信二年間)からはほんの一部だけの抜粋になった。批評の動向を対象とした時評も何回も書いたがすべて省いた。三〇〇本以上書いた書評もほとんど割愛した。「公正」を期すためには時評も書評もすべて載せて読み比べてもらうべきなのだが、一冊にまとめるためにはやむを得ない仕儀だった。その結果、斜視と視野狭窄がいっそう際立つ一冊になったかもしれない。
全体は四章に分けた。Ⅰ章を昭和の終り、平成の初めとして、あとは単純に十年ごとに区切った。そのため、Ⅱ章が湾岸戦争開始の一九九一年、Ⅲ章が九・一一アメリカ同時多発テロで記憶される二十一世紀最初の二〇〇一年、Ⅳ章が三・一一東日本大震災と福島第二原発炉心溶融の二〇一一年と、日本および世界の秩序に大打撃を与えた破局的な暴力の年から始まることになった。
もちろん偶然である。ひとは偶然の出来事に規則性を発見するとき、そこに何やら神秘的な「意味=必然性」を見出しがちだが、この偶然は、一つには二十世紀末の「終末論」ブームと同じキリスト起源の十進法の効果であり、もう一つには、種を明かせば、「破局論」(『物語論/破局論』)の著者たる私の作意の効果でもある。Ⅱ章を一九九〇年から始めていればこの効果は消えてしまう。
なんとかまとめ終えたいま思うことを、各章ごとに注釈風に短く記しておく。
(編集部註=ここに書かれた各章の注釈は「目次」の各章◆印の箇所に組み込んだ)
本書タイトル「大洪水の後で」は、Ⅳ章の章題にしたとおり、直接には東日本大震災の大津波を指す。しかし、比喩的には、この「三十年」の電子メディアと視聴覚直接刺激メディアの急速な発達普及がもたらした「大洪水」である。文学はすっかり吞みこまれ、押し流されてしまったようだ。
そしてまた、そうした時評的意味合いの「大洪水」の背後に、ランボーの詩のタイトルを思い出してくれる少数の読者がいてくれれば著者の歓びである。しかし、ランボーはその詩で、大洪水による浄化の後の人類新生の光景を叙しながら、早くも、「もう一度大洪水を」と書いてもいたのだった。
(後略)
書評から
生き物の記録
――意志の力ではどうにもならない
「人間の条件」から出発した「ドキュメント」の書
池田雄一(文芸評論家)/「図書新聞」2020年1月18日号(抜粋)
たとえば著者は、車谷長吉による「武蔵丸」という短編を紹介している。武蔵丸とはとある熟年夫婦が飼いはじめたカブトムシにつけられた名前である。野生のカブトムシはだいたい八月中に死んでしまうものだが、武蔵丸は秋になっても生き延びている。一○月半ばになり、夫婦は電気絨毯で飼育箱を保温しはじめたのを契機に、武蔵丸は発情するようになる。飼い主の爪の脇にある凹みに自らの性器をつきたてる。前足の一本は骨折し、一〇グラムあった体重は九グラムまで減り、それでもなお自身の性欲を抑えられず暴れまわる。そんな暴走カブトムシを、夫婦が最後まで看取るという話である。そこには自身にとって根源的なはずの生命の営みを機械的に反復することの悲哀とユーモアがある。本書からも、すべての人間をこのような「生き物」として看取ろうという意志を読みとることができる。
期せずして本書には、江藤淳、車谷長吉、秋山駿、西部邁、あるいは川島至といった小説家、批評家の死についてのエッセイが収録されている。彼らの生き様とカブトムシの生を同列におく視線を本書は獲得している。つまり意志の力ではどうにもならない「人間の条件」を、著者はこうした「生き物の記録」として書きとめたのだ。
『大洪水の後で』評
西躰かずよし/「鬣(たてがみ)」2020年2月号(抜粋)
本書は昭和の終わりから平成の終わりまでの、およそ三〇年に及ぶ八〇弱の時評や書評をあつめたものである。私はここでよく取り上げられる中上健次や大江健三郎等には、ほとんど明るくないから、この著作の本質を充分にくみ取れているかあやしい。しかし。すぐれた評論が、作品についての十分な知識を有していない者に対しても開かれているように、ここにある評論も独立した作品として読者に開かれている。
時評の端々に現れる著者の問いは、近代やそれ以前からの問いに向かい合おうとする地平から発せられているという点で一貫している。私の経験に引き寄せて言うなら、永山則夫や原口統三の問いを、その痛みの地点においてわずかでも知らなければならないといった義務感にも似たようなものを持ったことが
あったが、著者は同様の地点を有し続けているのかも知れないとも思う。
(中略;以下、西部邁の死について書いた「自死とユーモア」について)
自己の有限性の自覚に立脚し、自己と他者を相対化し、あらゆるものの絶対化にも反対するユーモアを有する西部が、何故、死に至ったのか。そして彼の死の意味するところは何であったのかを、生い立ちを踏まえながら丹念に紐解いている。悲嘆や憤慨に溺れること無く、西部邁の問いに懸命に応えるかのように、筆を進めていくのである。そこには時評であるにもかかわらず著者が彼に捧げた句が一つだけ載っている。
多摩川に無神の自裁雪しきり降る