風の象(かたち)
四六判並製カバー装
本文86頁
装丁:高林昭太
定価:1200円+税
発行日:2018年4月8日
ISBN978-4-88032-443-2
原 満三寿著
原 満三寿(はら・まさじ)プロフィール
文芸評論家・作家。
1940年、北海道夕張生まれ。埼玉県川口市在住。句集・詩集・論考ほか著作多数。
【俳句関係】「海程」「炎帝」「ゴリラ」「DA句会」を経て、無所属。
句集=『日本塵』(青娥書房)、『流体めぐり』『ひとりのデュオ』
『いちまいの皮膚のいろはに』(以上、深夜叢書社)
俳論=『いまどきの俳句』(沖積舎)
【詩関係】第二次「あいなめ」「騒」を経て、無所属。
詩集=『魚族の前に』(蒼龍社)、
『かわたれの彼は誰』『海馬村巡礼譚』(以上、青娥書房)、
『臭人臭木』『タンの譚の舌の嘆の潭』『水の穴』(以上、思潮社)、
『白骨を生きる』(深夜叢書社)、
『続・海馬村巡礼譚』『四季の感情』(以上、未刊詩集)
【金子光晴著作関係】
評伝=『評伝 金子光晴』(北溟社、第2回山本健吉文学賞)
書誌=『金子光晴』(日外アソシエーツ)
編著=『新潮文学アルバム45 金子光晴』(新潮社)
資料=「原満三寿蒐集 金子光晴コレクション」(神奈川近代文学館蔵)
オビ
句題は、当初『風の象(かたち)・水の容(すがた)』を想定していましたが、シンプルに『風の象』にしました。
風と水は、多様な訓義をもちますが、わたしの風と水は、自然と人間の媒介としての意義を広げ、万物の時間や時代の〈かたち〉を「風の象」に、存在や営みの〈すがた〉を「水の容」に仮託させて描いてみたい、そしてその両方の現象としての生死を語ってみたいと思ったのです。 「そえがき」より
そえがき(上の「オビ」の文に続く)
この夏、庄内を旅しました。湯田川温泉の「九兵衛旅館」に泊まったときのことです。この土地と旅館はわたしの好きな藤沢周平ゆかりのところで、周平さんの本、 映画ポスター、写真、色紙などがたくさん展示されています。旅館は二度目なのでしたが、前回気づかなかった周平さんの一枚の色紙が目にとびこんできました。
飄風朝ヲ終エズ
驟雨日ヲ終エズ 老子
まさに風(飄風)と水(驟雨)の偈頌で、やはり相逢う縁を感じました。
句は『老子道徳経』からのもので、タオイストの加島祥造は、「台風は上陸しても半日で去る。大雨は二日とつづかない。」 と訳しております。周平さんは、世の中悪いことはながくは続かない、すぐに良くなるさ、といっておられるように思います。苦難の多い庶民をはげます言葉として大事にしてきたものなのでしょう。
ご存知のように、周平さんは二十代の結核療養中に俳句と出会い、『藤沢周平句集』(文春文庫) として百余句が遺されています。
周平さんの俳句というと、「軒を出て狗寒月に照らされる」があげられますが、わたしは、「野をわれを霙うつなり打たれゆく」の句をとります。生地鶴岡の冬への厳しさ、親昵を吐露した、と感じるからです。
作家の流れで言えば、わたしの愛読作家のひとりに乙川優三郎さんがいます。氏の最新作『R.S. ヴィラセニョール』(新潮社)に、「想念の穴蔵で生む俳句」の一節があってどきっとさせられました。わたしの俳句の舞台裏をいいあてられた気がしたのです。未生やデジャ・ビュ(既視感)の作などまさにその通りだからです。