句集 ひとりのデュオ

ひとりのデュオ

四六判並製・カバー装
本文80頁
装丁=高林昭太
発行日:2016/4/28
定価:1200円+税
ISBN978-4-88032-429-6

原 満三寿著

原 満三寿(はら・まさじ)プロフィール

1940年、北海道夕張市生まれ。埼玉県川口市在住。句集・詩集・論考ほか著作多数。
【俳句関係】「海程」「炎帝」「ゴリラ」「DA句会」を経て無所属。
  句集=『日本塵』(青娥書房)、『流体めぐり』(深夜叢書社)
  俳論=『いまどきの俳句』(沖積舎)
【詩関係】第2次「あいなめ」「騒」を経て、無所属。
  詩集=『魚族の前に』(蒼龍社)、『かわたれの彼は誰』、『海馬村巡礼譚』
     (以上、青娥書房)、『続・海馬村巡礼譚』(未刊詩集)、『臭人臭木』、
     『タンの譚の舌の嘆の潭』、『水の穴』(以上、思潮社)、『白骨を生きる』
     (深夜叢書社)
【金子光晴関係】
  評伝=『評伝 金子光晴』(北冥社 第2回山本健吉文学賞)
  書誌=『金子光晴』(日外アソシエーツ)
  編著=『新潮文学アルバム45 金子光晴』(新潮社)

オビ (表のオビ文)

二十一世紀の〈俳諧師〉原満三寿氏は異端の俳諧師である。惟然のように市中に身を隠す。繰り出す俳諧・詩・評論は悉く異端にして異貌。日常を〈非日常〉的に両刃の剣として生きる俳諧師が、独りで二重奏を試みるのは至極当然。一身にして両身、「〈私〉は一個の他者。木片がヴァイオリンであることが判ったとしても止むをえない」のランボー、両義性を内在した「可・不可」のカフカらの眷属、同行二人衆の縁があろう。この正統的異端者の書き下ろしに刮目されたし。

オビ (裏のオビ文=俳句)

鳥顔で人かたりだす木の記憶
老いた木を蛇はなれゆく村ねむり

  蟻と僧 生を分かれて灼かれおり
  三門に托鉢僧めく蟻の列

春の野を全裸で奔る業火かな
野火と風ほとけの象に歓喜せり

  棺材は高野槇にせよと言うのだが
  棺桶に冬陽も入れろと言うのだが

さるすべり戦は凡庸な人ったらし
人ごみにまぎれて嗤う戦争屋

あとがき

 二〇一四年の四月に刊行した第八詩集『白骨を生きる』が私の詩の集大成となりましたので、十数年お留守にしていた俳句を再開する気になりました。
 第一句集『日本塵』の後二十年ほど、「DA句会」などに書き散らした句をサルベージしてみますと、ほとんどが未完成の句に思えてきました。そこで見込みのありそうな句を推考し直してゆくと、新しい句想がつぎつぎ沸きあがって、どんどん俳句が生まれてきました。俳句の面白さが復活した思いでした。それらをやや拙速にまとめたのが第二句集『流体めぐり』です。
 できあがった句集は、一頁に二句という体裁で、あらためて読み直しますと、同頁の二句がなぜか微妙に照応し、共振しあっていることに気づかされました。
 それならば、最初から二句を照応、共振させるとどうなるのか、との意図でできあがったのが『ひとりのデュオ』です。ひとりで唄う二重奏(デュエット)で合唱になることもしばしばです。カテゴリーは厳密なものではありません。
 こういうことを本格的にやった句集があるのかどうか知りませんが、本人は少しだけ地金がでた気分でいます。そのあたりをお楽しみいただければうれしく、さらに言葉と生けるものの面白さを感じてくだされば望外の幸いです。 (後略)

ページのTOPへ