俳句の気持 「ひとり」になれる
新書版・ソフトカバー四六判
本文328頁
装丁=高林昭太
発行日:2016/2/29
定価:1500円+税
ISBN978-4-88032-427-2
津髙 里永子著
津髙 里永子(つたか・りえこ)プロフィール
昭和31年、兵庫県西宮市生まれ。桐朋学園大学音楽学部演奏学科卒。
NHK学園俳句講座専任講師。都留文科大学初等教育学科(器楽実習)兼任講師。
「未来図」を経て「小熊座」同人。エッセイを日本エッセイスト・クラブ元事務局長浅野孝彦に師事。俳人協会幹事、現代俳句協会会員。
句集に『地球の日』(角川学芸出版)、『新現代俳句最前線』(合同句集、北溟社)、共著に『はじめての俳句――俳句必携』(NHK学園)、『鑑賞 女性俳句の世界』(角川学芸出版)など。
オビ (表・裏のオビ文)
創りたい人へ、作らない人へ
NHK学園俳句講座機関誌の、
20年にわたる好評連載が1冊に
俳人たちの肉声やエピソード、
そして名句をちりばめた、
俳句を詠み、
俳句に立ちどまるための101篇
俳人103名のプロフィールを巻末に収録
「インタビューや俳句大会などの合間に先生方は、まだ新米の私にいろいろと嚙み砕いてお話をしてくださり、振り返れば、貴重な“俳句の核”なるものを教えていただいていたのでした。」(「あとがき」より)
「はじめに」 から
本書は俳句の入門書、ではありません。「作りたいとき」「作れないとき」「作らないとき」の三章にわけて掲載しましたが、厳密に順を追っての内容にはなっていませんので、どこからでも、読みたいところだけでも読めるようになっています。
俳句をはじめたばかりの方だけでなく、作句に少々行きづまっている方も念頭において書きました。その上で、ささやかな願いですが、俳句に興味があるけれども作ったことがない方、俳句をこれからも作る気はないけれども教養として一応は知っておきたい方々にもこの本を手に取っていただけたら、たいへんうれしく思います。
なお、「作る」ということばは「創る」が私の気持により近いかもしれません。
目次
第一章 作りたいとき
俳句で何を詠みたいか/はじめの一歩を踏み出そう/歳時記をいつも手もとに/知っ
ている季語を使おう/第六感も働かす/はじめたからには堂々と/挨拶の気持/今
からでも遅くない/決めて悩めば道は開ける/気持をきちんと伝えたい ほか
第二章 作れないとき
きっかけをつかもう/疑問を感じたら/裏から横から斜めから/ときには他力本願で
/句の浮かぶとき/心で見る/四季それぞれに/めぐりあって向かい合う/見た目も
大事/句の鑑賞を読む/平凡というむずかしさ/雀と鳩と/自分の句を飾る ほか
第三章 作らないとき
名句を身近に/心のやりとり/裏方に徹することも/はじめての芭蕉/情熱をもって
/風景のうしろに/愛と死と/一人になっても/「人温」の涼しさ/一茶はいいねえ
/体の中から/読むときも五七五のいきおいで/味噌汁一杯、三里の力 ほか
本文「101篇」の中から
直球を投げてから(第1章 作りたいとき)
俳句は上五・中七・下五の十七音のリズムに収まるように作るのが基本です。しかし、「破調」のリズムも存在します。実際の句で見てみましょう。
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな 正岡子規 『俳句稿以後』
夏草に汽罐車の車輪来て止る 山口誓子 『黄旗』
西日中電車のどこか摑みて居り 石田波郷 『雨覆』
一句目は上五が六音、二句目は中七が八音、三句目は下五が六音になっているのを「字余り」といいます。
海くれて鴨のこゑほのかに白し 松尾芭蕉 『野ざらし紀行』
茎右往左往菓子器のさくらんぼ 高浜虚子 『六百五十句』
袋掛けしたる新聞紙の強し 茨木和生 『木の國』
五七五にきちんと割り切れないものを、「句またがり」になっていると言います。こういう句でも声に出して読むときは「海くれて/鴨のこゑほの/かに白し」とか「茎右往/左往菓子器の/さくらんぼ」というふうに、五/七/五に区切って少し間をあけて読むと、リズムのうねりが感じられて作り手が何を強調したかったのか、というようなことがおぼろげにわかってきます。
誰と住みてもいつも独りや花うつぎ 長谷川秋子 『鳩吹き』
二階へ運ぶサイダーの泡見つつ 波多野爽波 『一筆』
一句目は七七五調、二句目は七五五調になっています。
木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ 加藤楸邨 『起伏』
口笛ひゆうとゴッホ死にたるは夏か 藤田湘子 『白面』
雪の日暮れはいくたびも読む文のごとし 飯田龍太 『春の道』
夏みかん酢つぱしいまさら純潔など 鈴木しづ子 『指環』
これらは字余りにも句またがりにもなっている句です。「雪の日」の句は、一句を長く感じさせて雪の降る時間的経過と雪の積もる平面的な広さを感じさせ、「夏みかん」の句は破調を用いて、ぶっきらぼうな内容に合った言い方をしています。
このように内容に合った詠み方を追求した結果なら許されるようですが、歳時記の例句もほとんどが五七五のかたちを占めているようにやはり、五七五のかたちが基本です。
そういえば、俳句をはじめて間もないころ、句またがりの感じが新鮮で珍しく思えて、そのような句ばかり作っていたら、その当時、師事していた鍵和田秞子先生に、「変化球ばかり投げていてはダメ、ちゃんと、直球で勝負しなさい」と明快に叱られたことを思い出しました。
未来図は直線多し早稲の花 鍵和田秞子 『未来図』
炎天こそすなはち永遠の草田男忌 『飛鳥』
鶴啼くやわが身のこゑと思ふまで 『武蔵野』
雷連れて白河越ゆる女かな 〃
少年の瞳して阿修羅のしぐれをる 『光陰』
先生の原稿は、いつも〈太字もて稿を継ぎをり去年今年〉(『風月』)と鉛筆で太く大きな字で勢いよく書かれています。