虚子は戦後俳句をどう読んだか
埋もれていた「玉藻」研究座談会

虚子は戦後俳句をどう読んだか

四六判上製カバー装
発行日 2018年8月3日
本文392頁
装丁=高林昭太
定価:2700円+税
ISBN978-4-88032-447-0

筑紫 磐井編著

筑紫磐井(つくし・ばんせい)プロフィール

昭和25年東京生れ。一橋大学在学中に「詩歌」「沖」入会。その後攝津幸彦を知り、「豈」入会、のち編集人・発行人。俳人協会評議員、日本文藝家協会会員。
【句集】『野干』(平成元年)、『婆伽梵』(平成4年)、『筑紫磐井集(花鳥諷詠)』(平成15年)、『我が時代』(平成26年)。
【評論集】『飯田龍太の彼方へ』(平成6年・深夜叢書社/俳人協会評論新人賞)、『定型詩学の原理』(平成13年・ふらんす堂/正岡子規国際俳句賞特別賞)、『標語誕生!』(平成18年・角川学芸出版)、『伝統の探求』(平成24年・ウエップ/俳人協会評論賞受賞)、『21世紀俳句時評』(平成25年・東京四季出版)、『戦後俳句の探求』(平成27年・ウエップ)、『季語は生きている』(平成29年・実業公報社)ほか。
【編著】『現代百名句集(10巻)』(平成16年)、『俳句教養講座(3巻)』(平成22年)等。

オビ(表)

飯田蛇笏から金子兜太まで
虚子による《戦後俳句史》初公開

 「玉藻」誌上で昭和27年から7年あまり続いた連載、
 《研究座談会》での高浜虚子の全発言を収載。
  虚子晩年の幻の肉声を聞かれよ。
 【推薦】深見けん二・星野 椿・星野高士・本井 英

オビ(裏)

虚子が論評した俳人群像(掲載順)
 飯田蛇笏 水原秋桜子 山口誓子 津田清子 阿波野青畝 山口青邨 富安風生
 日野草城 加藤楸邨 石田波郷 中村草田男 秋元不死男 西東三鬼 平畑静塔
 高柳重信 楠本憲吉 桂 信子 能村登四郎 沢木欣一 古沢太穂 赤城さかえ
 金子兜太 佐藤鬼房 北 光星 大野林火 飯田龍太 大島民郎 小林康治
 細見綾子 野澤節子 目迫秩父 高野素十 京極杞陽 星野立子 松本たかし

まえがき(抜粋)

 高浜虚子は、星野立子の主宰する「玉藻」で行われた若手たち(上野泰、深見けん二、清崎敏郎、藤松遊子ら)による「研究座談会」(昭和二十七年十二月号から開始)に、昭和二十九年四月号以後立子とともに参加している。この研究座談会は虚子が倒れる三十四年四月まで(雑誌の連載としては三十四年八月号まで)続いており、虚子最晩年の俳句に対する考えを知る上でも貴重な資料である。内容は、俳句本質論や回顧談、ホトトギスや玉藻の雑詠評など広範であるが、特に、昭和三十年八月号以降からはホトトギス外部作家たち(ホトトギス離脱後の作家も含めて)の作品批評を連続して行っているのである。
   これは一種の「虚子による戦後俳句史」と位置づけることが出来るであろう。そこで本書では、「研究座談会」の虚子の発言のみを抜粋して紹介したい。
 論評された作家としては、飯田蛇笏に始まり、秋桜子・誓子らの4S、草田男・楸邨・波郷の人間探究派、草城・不死男・静塔・三鬼らの新興俳句、龍太・兜太・欣一・太穂・登四郎・重信らの戦後派(社会性俳句、伝統派等)とほぼ万遍なく戦後作家が網羅されている(漏れているのは澄雄、六林男と源義ぐらいであろうか)。もちろん、風生、青邨、青畝、立子、たかし、杞陽らホトトギスの代表作家も含まれている。実は、虚子が書いた俳句通史としては、『俳句読本』(昭和十年刊)に「俳句史」というものがあるが、これは宗鑑以来昭和初期まで、ただし誓子や素十はあるが秋桜子や草城は抜けているという過渡的なものになっている。おまけにそれは昭和初期の作品までしか対象としていないので、「虚子による戦後俳句史」が入ることで、虚子の歴史観をおおむねたどることが可能となると思われるのである。
 このように見てきた4S・新興俳句・人間探求派・社会性俳句という区分から、まずは虚子は原理主義的に一網打尽でこれらを否定するのかどうか、というところに関心があった。なぜならばこれらの作家は虚子が主唱した「客観写生」や「花鳥諷詠」から遠く離れているように見える人々であるからである。しかし、「研究座談会」を見てみると意外な結論に驚く。
 保守頑迷と思っていた虚子が、これらのグループを一律に否定することもなく、またそれぞれの中のグループの作家の作品を細密に鑑賞したうえで、よしとするものと否とするものを分別した。それは、ホトトギスの作家たちについても同じであった。こうした見方をすると、この鑑賞を通して虚子という俳人の新たな姿が浮かび上がってくるように思う。特にその用語にこだわれば、彼らに対する独特な虚子の「批評用語」を発見することができると思うのである。それは単純な趣味のようにしか見えないものもあるが、それでも日ごろ我々が虚子というとすぐ思い出す「客観写生」や「花鳥諷詠」などの金科玉条とは違った批評用語であった。もちろん、研究座談会では「客観写生」や「花鳥諷詠」に関する最終的な見解も披露されているが、珍しいのはどうしても、現代作家の作品批評なのである。
 例えば、
  虚子 私は、よき俳句の批評は、よき解釈だと思つてゐる。この句は、どういふこと
  を言ひ表してゐるのだと言へば、それが、もう、批評になつてゐる。俳句の面白味
  は、 或程度説明してやらないとわからない。解釈をして、始めてわかる人が多い。
  だが、その句が表現してゐる限界を越えて、説明するのは、よくない。世間には、
  往々、さう いふ句解がある。私は、昔から、ずいぶん批評もしたが、寸評といふこと
  もした。寸評は、その句の面白味を端的に示唆するものだ。其寸評を得てその句は生
  きる。子規は悪い句を攻撃した。それも、『この句は拙い』といつて、理由は言は
  ぬ。私は悪い句、拙い句は問題にしない。問題にしないことによつて、作者は考へる
  だらうと思ふ。私は好い句を取り上げる。私が其句をよいとする理由は斯ういふ風に
  解釈するからだといふことを説明する。(「玉藻」昭和三十年四月号「研究座談会」
  第二十四回)
(略)
 ここでわれわれは、虚子を通して、俳句を批評すること、俳句を解釈することを学ぶことができる。もちろん虚子が全面的に正しいとは言わない。しかし戦後の俳句の読解力の衰退を補うためには、明治・大正・昭和の知恵をぜひ学んでみることが必要だ。なぜなら現在我々は「その句が表現してゐる限界を越えて」解釈・批評しすぎてしまっていると思われてならないからである。
(後略)

目次

序 章
  1.虚子の生涯/2.戦後虚子の著述/3.虚子と戦後新人の関係
  4.ホトトギスの外に吹く風
第1部 「研究座談会」を語る=深見けん二・齋藤愼爾・筑紫磐井・本井 英(司会)
  研究座談会の発端/人間探求派の鑑賞/様々な戦後俳句の鑑賞/研究座談会の四人/句
  日記の作品/季題の考え/虚子聞き語り/人の句を読む/研究座談会から洩れた俳人
第2部 研究座談会による戦後俳句史研究
 【第1章】はじめに
   1.研究座談会の順番/2.虚子独自の俳句基準/3.有季の前提
 【第2章】大正作家=「進むべき俳句の道」作家
   ① 飯田蛇笏
 【第3章】4Sとその同世代作家
   ① 水原秋桜子/② 山口誓子/【参考】津田清子/③ 阿波野青畝/④ 山口青邨
   ⑤ 富安風生/⑥ 日野草城
 【第4章】人間探究派
   ① 加藤楸邨/② 石田波郷/③ 中村草田男
 【第5章】新興俳句
   ① 秋元不死男/②西東三鬼/③平畑静塔/④高柳重信/⑤楠本憲吉/⑥桂 信子
 【第6章】社会性俳句
   ① 能村登四郎/② 沢木欣一/③古沢太穂/④赤城さかえ/⑤金子兜太
   ⑥佐藤鬼房/⑦北 光星
 【第7章】新抒情派(新伝統派)
   ①大野林火/②飯田龍太/③大島民郎/④小林康治/⑤細見綾子/⑥野澤節子
   ⑦目迫秩父/補説 新しい伝統派
 【第8章】ホトトギスの典型派
   ① 高野素十/②京極杞陽/③星野立子/④松本たかし
 【第9章】戦前の調和法と戦後の「われらの俳句」
 【参 考】「玉藻」に掲載された研究座談会見出しとその年月一覧

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