句集 天來の獨樂
四六判上製・カバー装
本文166頁
装丁=高林昭太
発行日:2015/10/10
定価:2600円+税
ISBN978-4-88032-425-8
井口 時男著
井口 時男(いぐち・ときお)プロフィール
1953年、新潟県六日町(現・南魚沼市)生まれ。文芸評論家。
1977年、東北大学文学部卒。神奈川県高校教員を経て1990年、東京工業大学教員。2011年3月、東京工業大学大学院教授を退職。
1983年「物語の身体――中上健次論」で「群像」新人文学賞評論部門受賞。以後、文芸評論家として活動。
文芸評論に、『物語論/破局論』(1987年、論創社、第1回三島由紀夫賞候補)、『悪文の初志』(1993年、講談社、第22回平林たい子文学賞受賞)、『柳田国男と近代文学』(1996年、講談社、第8回伊藤整文学賞受賞)、『批評の誕生/批評の死』(2001年、講談社)、『危機と闘争――大江健三郎と中上健次』(2004年、作品社)、『暴力的な現在』(2006年、作品社)、『少年殺人者考』(2011年、講談社)など。
オビ(表のオビ文)
俳句作家の誕生をあざやかに告げる第一句集
――室井光広(作家)
自らにも容易に鎮め難い不穏な声の奔出
――吉田文憲(詩人)
オビ(裏のオビ文)
断念の底から響く瞠目の十七音
天皇老いし日や襯衣の襟垢染みぬ (振り仮名:天皇=すめろぎ、襯衣=シャツ)
まなこ病むまなこの底に冬を飼ひ
冬木立注釈無用で生きてみろ
連翹や蝶生るる日の陽のながれ (振り仮名:生=あ)
とはいへど死は生の糧草いきれ
否否否百遍の否鴃きしる (振り仮名:鴃=モズ)
卓抜な俳句随想7篇を併載(下記目次に題名)
目次
旧い句帖から(1979年~1987年)
新しい句帖から(2011年~2015年)
随想
突つ立ち並ぶ葱坊主――俳句的日常
東北白い花盛り
季節に認識ありやなしや
貫く棒の如きもの
卵食ふ時口ひらく
草二本だけ生えてゐる
光部美千代さんを悼む
『天來の獨樂』に寄せて
「月並」の過激さ………………吉田文憲(詩人)
〈第一歩〉の受取り直し………室井光広(作家)
「あとがき」から(抜粋)
書名は「天來の獨樂」とした。私の俳句は独り楽しむものだから「獨樂(こま)」、天から降って来たかのように思いがけず手に入った玩具だから「天來(てんらい)」。「天來」には句作に不可欠なインスピレーションの意味も掛けてみた。しかし、蒼穹に回り澄むもののまぼろしは遠く、私の「獨樂」が「天籟(てんらい)」のごときすぐれた音を発してくれるかどうかはわからない。
書名を決めた後、カフカに「こま」という超短編があると室井氏から教えられた。
子供たちがこま回しに興じていると、一人の哲学者がずかずかと踏み込んできて回転しているこまを手でひっつかむ。邪魔にされてもやめない。
「つまり彼は信じていたのだ。たとえば、回転しているこまのようなささやかなものを認識すれば、大いなるものを認識したのと同じである。彼は大問題とはかかわらなかった。不経済に思えたからである。ほんのちょっとしたささやかなものでも、それを確実に認識すれば、すべてを認識したにひとしい。だからこそ、ひたすら回るこまを追っかけていた。」(池内紀訳)
――これはまるで俳句のことではないか?
しかし、彼が喜悦の表情を浮かべるのはこまをひっつかんだ一瞬だけ。すぐに失望して放り出してしまう。その繰り返し。真理は彼の手にはつかまらない。
――やっぱり俳句のことではないか?
書評より(「東京新聞」2015年10月28日号夕刊コラム「大波小波」から抜粋)
いとうせいこう、又吉直樹、川上弘美。彼ら現代作家に共通するのは、俳句との関わりである。饒舌に走りがちな現代小説の前線と寡黙な十七文字との間には、不思議な通路があるらしい。そこに異色の新人俳人が出現した。ベテラン文芸評論家の井口時男が、第一句集『天來の獨樂』(深夜叢書社)を出したのだ。
『悪文の初志』や『柳田国男と近代文学』『少年殺人者考』など、時代に媚びない野武士のように地道な文芸評論を書き続けてきた井口だが、読んでみると俳句が実によく似合う。
(中略)
〈春昼や己が尻尾をねぶる猫〉〈冬木立注釈無用で生きてみろ〉〈ポケットに胡桃一顆を尖らせて〉など、隠遁の気配が濃い句が目に留まる一方、永山則夫の出身地の網走を旅した折の〈はまなすにささやいてみる「ひ・と・ご・ろ・し」〉などは強烈だ。不穏な批評眼を潜めた寡黙の表現は、評論以上に井口を文学者に成長させたようだ。 (狛犬)
書評より(毎日新聞2015年11月15日号「今週の本棚」 全5段から冒頭抄録)
置き換え不可能な個人の実存刻む 橋爪大三郎(社会学者)
井口時男氏の第一句集。文芸批評家の井口氏が俳句を詠むひととは知らなかった。五年前手術をし、勤めも辞め、多摩川べりの散歩が日課になった。目に映る情景がそのまま句になっている。
その昔、高校教員だった頃、句作の経験があるという。新任の女性教員の主宰する句会に参加した。当時の句、《火のごとき暴動あれよ雨季近し》。不穏な内心を偽悪的に取り出してみせるのが若さだろうか。
それから三〇年。目に映るものを言葉にすると、瞬間が永遠につながる。《わらわらと抱かれ曳かれて春の犬》《日常は突つ立ち並ぶ葱坊主》《炎天やびつこの犬が土を嗅ぐ》。個人のもつ感覚や感性が、誰もがもつ言葉に置き換わる最小の形式。俳句は、感情をこめるのにも小さすぎる。《昔から俳句に関心はあった。あのぶっきらぼうな寡黙さに心魅かれたのだ。》。今ここを散歩しているだけなのに、それが時空を超え、可能な読み手のうえに拡がっていく。
(以下略)