心にのこる旅 グアム、サイパン、テニアン
四六判/上製/本文182頁
装丁=高林昭太
発行日:2013/12/8
定価:1500円+税
ISBN978-4-88032-411-1
宮腰榮一著
1949年、横浜生まれ。桐蔭学園文化センター長として、出版、劇場、美術館の業務に携わる。
著書に、『心にのこる旅 離島の記』(深夜叢書社、2010年)、『心にのこる旅 異国の街で』(深夜叢書社、2010年)、『心にのこる旅 カンボジア 陰と光』(深夜叢書社、2012年)がある。
オビ
慰霊の行脚、
ふたたび。
太平洋戦争中、日本の「絶対国防圏」に組み込まれた
グアム、サイパン、テニアンは、南海の楽園を謳歌したのも束の間、
凄惨な玉砕戦ののち陥落する。
本土を焼き尽くすB29爆撃機の発信基地として、
戦後は米軍戦略の重要地点として機能する島々の今昔を探訪する。
目次
一 激戦地となったマリアナ諸島
南洋諸島の発展
サイパン島の砂糖王
南洋諸島への移民者たち
国際連盟脱退後、南洋諸島の海軍の停泊地を整備する
絶対国防圏と定められたマリアナ諸島
見放されたサイパン
バンザイ突撃、バンザイ・クリフやスーサイド・クリフからの自決
戦争画の第一人者であった藤田嗣治
南洋諸島最大の飛行場のあったテニアン島
テニアン島のスーサイド・クリフ
「原爆神話」を考える
楽園の島のイメージが定着しているが
二 忘れ去られていく「大宮島」の時代
今も旧日本軍の高射砲や沿岸砲が残るグアム島
アサン太平洋戦争国立歴史公園
アプラ港(大宮港)
アサン湾(浅間湾)展望台
アガット湾(昭和湾)
グアム平和慰霊公苑
太平洋戦争博物館
三 B二九爆撃機による日本本土大空襲
ドゥリットル空襲
カーティス・ルメイ少将の指揮による日本本土空爆
横浜大空襲
アメリカ側の記録による八王子大空襲
四 原爆投下作戦
原爆の投下訓練
原爆投下作戦チーム、テニアン島に着く
小倉、新潟は初期の原爆の投下目標に入っていた
原爆一つは二千機のB二九に搭載した爆弾の量に匹敵
B二九「エノラ・ゲイ」から原爆「リトル・ボーイ」を投下
投下目標を小倉から長崎へ変更
五 グアム島でのBC級現地裁判
戦争裁判について
グアム島で裁かれた戦争裁判
今も残るBC級戦犯の裁かれた軍事法廷
国際情勢の変化により戦犯裁判の扱いも変わる
戦犯裁判はどこまで客観的な検証ができるのか
「平和に対する罪」は法の圏外に置かれるべきであった
六 終戦後も島内に潜み続けた日本軍人
終戦から十五年経て発見された皆川文蔵氏
戦後二十八年間、グアムに潜伏した横井庄一氏
「生きて虜囚の辱を受けず」
ルバング島の少尉・小野田寛郎氏
タッポーチョ山を拠点にゲリラ化した大場隊
七 米軍のマリアナ諸島統治方針
アメリカ主権下の保護領である北マリアナ諸島自治政府
アメリカ海外領土のグアム、北マリアナ諸島
米軍の国際戦略において重要な役割を果たしているマリアナ諸島
わが国を取り巻く環境の変化
わが国の防衛とマリアナ諸島との関係
世界第六位の軍事費の今後
普天間基地のグアム移転
普天間基地の代替地案
八 再び北マリアナ諸島を旅して
「南洋の東京」と呼ばれたガラパン
南洋興発、初代社長で最後の社長であった松江春次
アメリカン・メモリアル・パーク
戦跡地の消滅?
テニアン島の戦跡
タガ遺跡周辺の日本人町
テニアン島にある大規模なホテル