古窯曼陀羅(こようまんだら)

古窯曼陀羅

四六判上製カバー装
発行日:2018年6月1日
本文246頁
装丁:高林昭太
定価:1800円+税
ISBN978-4-88032-446-3

佐藤 洋詩恵著

佐藤洋詩恵(さとう・よしゑ)プロフィール

1952(昭和27)年6月1日、山口県生まれ。本名美恵(よしえ)。
10歳の時広島に移り広島ノートルダム清心中学、高校を経て、1971(昭和46)年東京女子大学文理学部日本文学科入学。1975(昭和50)年10月、日本航空に入社。1年間同社に在勤中、地上職勤務を経て5ヵ月間の国際乗務を経験。1976(昭和51)年11月23日、「日本の宿古窯」の創業者・故佐藤信二氏長男の佐藤信幸氏と結婚。
1985(昭和60)年6月より「古窯かわら版」(社内報兼広報紙)を発行し現在に至る。
2003(平成15)年、全国旅館女将サミット第14代委員長をつとめる。
2000(平成12)年~2014(平成26)年、山形女将会会長。

オビ(表)

美人に生まれ、華やかな才気まで恵まれ、
幸せな結婚をして二児のよき母となり、
由緒深い山形の温泉宿の二代目女将におさまったよしゑさんの一代記。
うことがすべて即、文章になる天然の才により書きつづられた日々の想いは他人が覗い ても幸せになる。
 帯芯をやはらかくして春衣(ごろも)
こんないい俳句も、日にいくつもさらりと生む。
おめでとう、よしゑさん、初めての本の出版。
                                  瀬戸内寂聴

オビ(裏)

山形かみのやま温泉の湯宿〈古窯〉の二代目女将が、
折々の気持ちを書きとめた「古窯かわら版」。
発行から三十三年を経た「かわら版」のエッセンスを一冊に集成。

目次

Ⅰ 山形の四季  古窯かわら版「女将からのごあいさつ」抄
Ⅱ 湯の町「かみのやま」より
   母二人
   紅花慕情
   小さな決意
   夢の住人
   わたすのわらし(童子)
   人、生かされてあり
   働く母親の芯の強さ――女将の仕事の極意
   宿はクレームで鍛えられる――女将は「品質」管理責任者
   気を抜けない新年準備――師走はまさに「女将走」
   二代目女将を支える二冊――「知」と「情」喚起の秘訣
   観光産業こそは平和産業――広島育ちの女将の祈り
   スリッパから始まった「国際化」――もてなす心に国境なし
   東北復興への祈りの非時(ときじく)の花
Ⅲ 女将の春夏秋冬
   俳句・短歌・詩作品(91~212ページ)
Ⅳ 良縁感謝  恩師との出逢い
   伊藤善市先生のこと――父のような師/忘れ得ぬ言葉
   渡辺和子先生のこと――〝まま母〟の愛/和子先生を偲んで
   黒田杏子さんのこと ――「白塔会」の頃/杏子さんへ
   瀬戸内寂聴先生のこと――あこがれの人/二枚の写真/寂聴先生へ

〈跋文〉「ここに人あり 知友佐藤洋詩恵さんへの手紙」 黒田杏子

はじめに

「古窯かわら版」事始め(抜粋)
 昭和六十年六月一日。「古窯かわら版」第一号を発行した。六月一日は湯殿山の山開きの日。そして母がわが命をこの世に生み出してくれた日。日本遺産の出羽三山の月山は過去の山、羽黒山は現在の山、湯殿山は未来の山。過去、現在、未来への時空の旅。あらまほしき思い、人生の明瞭なビジョンを描くことで、過去の時は、変え得る未来への礎となる。今ひときわのこの時を、切に生きることこそが、過ぎし日の時が、全て意味あることのように思えるのだ。一度の人生、後悔することなく生きてゆきたい。その証しとして、また反省のよすがとして、記憶にではなく、記録になるものを形にしたいと思った。話せなくても書くことができる。声が出ない苦しい経験が、「かわら版」を生み出した。私にとっては石の上にも三年ではなく、三十年。継続は力。自力をつけるためにも、命を吹き込む居場所を社員と共にさらに高めるためにも。霊峰蔵王のふもと、歌聖斎藤茂吉のふるさと湯の町かみのやまからの情報発信を三十年間は続けようと、神秘の湯こんこんと湧き出ずる語られぬ湯殿の奥の院に、私は誓った。
 三十三年の月日が流れた。

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