望郷のソネット 寺山修司の原風景

望郷のソネット

四六判上製/本文260頁
装丁=高林昭太
カバー写真=青森高校時代の
寺山修司(撮影・藤巻健二)
発行日:2015/8/10
定価:2400円+税
ISBN978-4-88032-424-1

白石 征著

白石 征(しらいし・せい)プロフィール

1939年、愛媛県今治市生まれ。劇作家・演出家。
青山学院大学卒業後、新書館に入社。編集者として寺山修司との交流は18年間に及び、 寺山本を数多く手がける。寺山没後は『寺山修司俳句全集』、『寺山修司メルヘン全集』 (全10巻)、『寺山修司著作集』(全5巻、山口昌男と共同監修)などを編集。
出版社退社後、演劇の世界へ転身。「小栗判官と照手姫」「一遍聖絵」「中世悪党傳」三部 作、「しんとく丸」「さんせう大夫」「きつね葛の葉」を作、演出。
著書に『新雪之丞変化 暗殺のオペラ』(1990年)、『小栗判官と照手姫』(1997年)、『母 恋い地獄めぐり』(2014年)がある。

オビ(表・裏)

《寺山修司生誕80年記念出版》
編集者として18年間、寺山修司に伴走しその多彩な表現活動を間近に見てきた著者が、 想像力の遊びに生きた天才の、精神的孤児としての孤独と悲しみを丹念に読み解く。

最良最高の寺山修司便覧
中世に源流をもつ説経節の水脈は、いまもなお、長谷川伸、美空ひばり、あるいは、母物映画や寺山修司のなかに引き継がれているというのが、私の推測である。ここでは寺山修司のみに限ってみていくと、まず「石童丸」(説経かるかや)である。彼は書いている。「私の最初の友人(書物)は『石童丸』であった。醬油の染みのにじんだ和綴りの『石童丸』の中の、〈ほろほろと鳴く山鳥の声きけば/父かとぞ思う/母かとぞ思う〉という和歌を、私はどれほど愛誦したことだろう」と。(本文「説経節と寺山修司」より)

「あとがき」から(抜粋)

 寺山修司についての文章が、まさか一冊の本になるとは思っていなかった。彼についての感慨は、折りにふれてさまざまに去来したものの、とてもまとまりの付くようなものだとは思えなかったからである。
 彼が逝って、ポッカリ空いてしまった編集者当時の私の空洞は、以後私を演劇へと向かわせた。とくに藤沢で単身始めた遊行かぶきでは、苦境になればなるほど支えてくれたのは、やはり寺山修司への想念であったような気もする。
 あるいは、私が無意識のまま受信していた彼の原風景のようなものが、幾度となく創作の過程で反芻されたためだったからかもしれない。
(中略)
 寺山修司の悲しみは、少年期のとり返しのつかない体験の故に、その深い透明性は彼一個の時代性をこえて、いわばギリシャ悲劇の深度にまで通底する普遍性を持っている。そしてその見果てぬ夢がつむいだ彼の作品は、家族の根底に横たわる血と因襲の呪縛を撃ち、新たなる地平をめざしての壮大な想像力の企てであったのだ。
(後略)

書評より(「東京新聞」2015年9月20日号から抜粋)

影落とす父性の空白                 立正大特任講師・葉名尻竜一
 若い頃から編集者として、寺山の多くの出版関係の仕事を支え、没後は彼の妻だった九條今日子さんらと著作の整理をし、今は自ら劇団を主宰して「遊行かぶき」にたずさわる。そのときどきに依頼され、また解説をし、そして公演パンフレットに書いてきた文章を一冊にまとめたのが本書。「寺山修司の心の故郷を訪ねようとする試みは…彼の作品のことばの背後に、人生の悲哀をたたえて埋められているメタファーの種子を読みとることにかかっている」との信念に裏打ちされた眼差しは、戦争で父を奪われ、父に もなれなかった寺山が求めつづけた〈父性〉の空白を探りだす。
 さらに生死をさまよった大病や、出稼ぎにいく母に置き去りにされた少年の孤独など、虚実入りまじった作品群へ影を落とす心の原風景を透視していく。

書評より(信濃毎日新聞 2015年10月4日号から抜粋)

寺山修司 原風景たどる手引書               流山児祥(演出家・俳優)
 寺山修司生誕80年ということでさまざまな出版がなされている。没後30年を経てもテラヤマ的想像力、すなわち自由の翼を追う人々は後を絶たない。この現象は今の時代、多くの人々がいかに戦前のファシズムに似た暗い時代の到来に身体的拒否反応(いやーな感じ)を抱いているかの証しに思えてならない。
 そんな時代にテラヤマ的冒険、つまり自由の翼のススメとてもいうべき入門書が現れた。自由の翼を広げ、街を書物のように読んだ寺山さんの原風景をたどる手引書、それが本書てある。編集者・劇作家の白石征さんの新刊を一気に読んだ。いや、面白い。
(中略)
 編集者として18年間、寺山さんを間近に見、伴走した同志ならではの身体性を持った文章で、時にクールに、時に熱く90年代初めごろからのテラヤマへの想いがつづられている。「ニースからの絵葉書」など全6章。とりわけ実験劇としてのラジオドラマ論「寺山修司のラジオ・デイズ」が鋭い。
(以下略)

書評より(毎日新聞 2015年10月26日号 シリーズコラム「詩歌の森へ」から抜粋)

寺山修司の原風景                 酒井佐忠(文芸ジャーナリスト)
(冒頭略)
「書を捨てよ、町へ出よう」と寺山はいった。それは秩序化された書物的思考からの脱却。暗闇で身体に触れ、最も深い部分で考える固有の身体的思考を主張した。『田園に死す』の短歌にも、もちろん演劇にも深い原型的な「情念の水脈」が流れている。その上で「彼の孤独の源でもある悲しみの原風景を辿ろうするならば(略)、中世説経節の情念、近代以前の漂泊の芸能者が持ち続けてきた感情の水脈に目を向ける必要がある」と著者はいう。
 一方で私が興味深く感じたのは、「少年歌集・麦藁帽子」の存在。すでに寺山が「天井桟敷」を旗揚げした直後の多忙な時代に、明るい抒情にあふれた初期歌篇を若い女性読者向けの本の中に再録したもの。少年の恋の挽歌として若い読者の心を響かせた。もちろんその「抒情詩」の底には家族の不在と、世界の果てを夢見る孤独な寺山の悲しみがあった。

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