句集 花 修

句集 花修

四六判
本文166頁
装画=奥原しんこ
装丁=高林昭太
発行日:2015/7/1
定価:2800円+税
ISBN978-4-88032-423-4

曾根 毅著

曾根 毅(そね・つよし)プロフィール

昭和49年 香川県生まれ。
平成14年 「花曜」入会、鈴木六林男に師事
平成17年 「花曜」終刊
平成18年 「光芒」同人
平成20年 「光芒」終刊
平成22年 第1回北斗賞次席
平成23年 「LOTUS」同人
     第29回現代俳句新人賞佳作奨励賞
平成24年 第30回現代俳句新人賞佳作
平成26年 第4回芝不器男俳句新人賞
 現在「LOTUS」同人・編集委員、現代俳句協会会員

オビ

第4回 芝不器男俳句新人賞 受賞
日常のなかに不意に現われる亀裂—その向こう側へ手を伸ばし、
危機感を孕んだ表現へと結晶させた新鋭俳人の誕生。
東日本大震災後の俳句のアクチュアリティをも問う瞠目の第一句集。
   薄明とセシウムを負い露草よ
   水吸うて水の上なる桜かな
   春すでに百済観音垂れさがり
   さくら狩り口の中まで暗くなり
   滝おちてこの世のものとなりにけり
   原子まで遡りゆく立夏かな

曾根毅句集刊行に寄せて(付録の栞から)

 ここに第4回芝不器男俳句新人賞受賞者曾根毅さんの句集を上梓することができて、本賞を創設運営してきた責任者として深い感慨を覚えるものである。本句集は人類が経験した震災に対する精神史の一部を占めるものである。俳句という短詩型文学がもつ詩の力を遺憾なく発揮したものとして、広くアジアをはじめ世界の人々と思いをともにしたいものである。                  芝不器男俳句新人賞参与 西村我尼吾

選考委員のことば(大石悦子・坪内稔典・対馬康子・城戸朱理・齋藤愼爾)

曾根毅句集『花修』に寄す               選考委員会委員長・大石悦子
 第4回の芝不器男俳句新人賞の最終選考会は、東日本大震災発生から三年経った平成二六年三月一一日に行われ、曾根毅さんの一〇〇句が選ばれた。
 未曾有の大災害に見舞われた忌まわしい日に、選考会をぶっつけたのは、震災以後を若い世代が俳句の場でいかに引き受けるかという点に、揺さぶりをかけようとする目論見があったのではあるが、曾根さんの作品は震災の翳をもっとも濃く曳くものとして注目され、その力量も高く評価された。
 個人的には、「マイクロシーベルト」や「セシウム」など、ニュースの渦中の言葉が、詩語としてかるがると句に取り込まれていることに戸惑いを覚え、作品の前で立ちすくんだが、思えば言葉の成熟を待ついとまのない緊急時に私たちは立たされていたということであろう。それに気づかず作品の評価に手間取ったことを不覚に思う。
 受賞作品は句集として刊行するという決まりに従って、曾根さんの句集『花修』が出る。内容としては、平成一四年から同二六年までの一二年間のほぼ三〇〇句が収録されており、その中ほどに今回の新人賞の作品が入っているのだが、事情を知らなければ一巻の感銘句群として終わるかもしれない。そのさり気なさに大人の含羞が感じられ、むしろ好感を覚えた。
 曾根さんにお会いしたことはないが、鈴木六林男氏の門下だと聞く。そういえば曾根作品の大人振りは、六林男氏に通じるものがあって懐かしくもある。
 *
曾根毅さんの発想坪内稔典 
 曾根毅さんの俳句的な活動に期待する。俳句を作るだけでなく、俳句が生まれ語られる場におおいに関わってほしい。俳句は一人で作るものではなく、俳句の好きな人たちの集まり(句会、俳句グループ、結社など)の中で作るものだから。しかも、俳句の作者とは、単独、純粋な個人でなく、他者を協同者として抱えこむ存在だ。
 実は、私は曾根毅さんへの授賞に反対した。ただ一人反対したのだが、最後には賛成した。右の観点において彼の活躍を期待しよう、と思ったから。
    夕ぐれのバスに残りし春の泥
    五月雨や頭ひとつを持ち歩き
    老犬に従い歩き花八手
    明日になく今日ありしもの寒卵
    春すでに百済観音垂れさがり
 曾根さんの応募作百句から私の好きな句を選んでみた。この中からベストワンを取り出すとしたら百済観音の句だろう。百済観音の立ち姿を「垂れさがり」と表現したのがとてもおかしい。垂れ下がっているのは「春すでに」、つまり春がかなり過ぎて、さすがの百済観音も疲れたのだろう。百済観音が疲れるという愉快な発想がとても俳句的だ。
 右のような曾根毅さんの発想がさらに広がると、日本語の俳句そのものがうんと豊かになるだろう。
 *
時代のたましい 対馬康子 
 曾根毅さんの受賞作は、東日本大震災を機とする「日常に入った亀裂を危機感として現実化した」と評価された。だがその百句は震災詠として一括りにされるものではない。彼の作品が選考委員に強く訴えかけた魅力は、己の有する言葉という唯一の手段により、この大悲劇に敢然と対峙する「俳諧師」としての、精一杯の闘いぶりが際立っていたのだということを今改めて感じている。
    存在の時を余さず鶴帰る
    玉虫や思想のふちを這いまわり
    冬めくや世界は行進して過ぎる
    さくら狩り口の中まで暗くなり
    憲法と並んでおりし蝸牛
    玉葱や出棺のごと輝いて
「花」「光」の章より。玉虫や口中や蝸牛や玉葱など、少ない光量によって映し出される不安感。これらの作品は、〈暗闇の眼玉濡らさず泳ぐなり〉〈失語して石階にあり鳥渡る〉など、「戦争」「社会」「時代」というものを「硬質なリリシズム」に詠み続けた、師鈴木六林男の根幹を受け継ぎ、現代につなぐ姿である。
 そう、俳人鈴木六林男の「最後の弟子」を選ぶことができたことは私には嬉しいことであった。
    鶏頭の俄かに声を漏らしけり
    薄明とセシウムを負い露草よ
    桐一葉ここにもマイクロシーベルト
    生きてあり津波のあとの斑雪
    ふと影を離れていたる鯉幟
 曾根さんは、三・一一当日は仙台港に出張されていた。津波が来るのを見ながら必死で坂を駆け上がり、ようやく当時住んでいた千葉県柏市の家族のもとに帰宅したのは五日後のことだったという。
 有史以来連綿と続く荒ぶる地であった東北での悲劇は、日本人一人一人に、かつて身近にあった死を思い起こさせることとなった。
 大震災の惨状を前に、皆、発する声も書くべき言葉も失った。現実のすさまじさに対して、世界中の人々がどのように立ち向かえるかが突き付けられた。
 だが言葉を無くさざるを得なかったからこそ、俳句という最も短い詩型はほかの何よりも震災に真っ正面から取り組むことができ、力を証することができたように思う。
 俳句における造化に自らを託すという方法は、日本人の死生観を自問することである。鎮魂は常に新しく、それは文芸における永遠のテーマであり、その意味で俳人はこの四年間、多くの鎮魂と再生の作品を発表してきた。そして、今もこれからも詠み続けていかねばならない。
 次の句もまた描かれているのは、拮抗する生と死である。
    水吸うて水の上なる桜かな
    般若とはふいに置かれし寒卵
    獅子舞の口より見ゆる砂丘かな
    雪解星同じ火を見て別れけり
    祈りとは折れるに任せたる葦か
 しかし、水を吸い浮かぶ花びらも、獅子舞の口から広がる砂丘の景も、祈りのかたちに折れた葦も、なんと不思議なほど穏やかであろうか。
 ここに刊行される曾根毅第一句集『花修』が、俳壇という地平の彼方を力強く上り、「時代のたましい」を、しぶとく、喜びと悲しみの渾然一体となった諧謔の思いを眩しいひかりにまで高めるものとして、現代俳句の歴史の中に独自の輝きを放ち続けることを祈念したい。
 *
危機の詩城戸朱理 
   一九二四年、アンドレ・ブルトンは、ダダイズムに別れを告げ、「シュルレアリスム宣言」を起草した。
 そこから、二十世紀の文学や美術に絶大なる影響を及ぼしたシュルレアリスムが始まるわけだが、その方法論は、俳句に通底するところがある。
 無意識を顕在化させるための自動記述、あるいは夢の記述のなかで、ある事象は、現実の世界では接続しえない事象と衝突するように出会う。遠いものの連結。それは、俳句における「二物衝撃」にきわめて近いものである。
 しかし、本来ならば関係を持ちえないふたつの事象が出会うと言っても、その出会いによって、閃光のように新たな関係性が生まれるのでなければ、意味がない。それは、たんに遠いものを連結させるのではなく、その出会いによって、新たな関係性と新たな世界を生成させるものでなければならないのだ。
 そして、俳句が季語と定型のなかで惰眠をむさぼるわけにはいかない今日のような世界と向かい合うとき、俳人もまた、自ずとそうした方法論を意識せざるをえない。
 曾根毅の俳句は、まさにそうしたことを体現しているように思われる。
    くちびるを花びらとする溺死かな
    滝おちてこの世のものとなりにけり
    この国や鬱のかたちの耳飾り
    さくら狩り口の中まで暗くなり
    葉桜に繫がっている喉仏
    蛇の目に留まっている青嵐
    白菜に包まれてある虚空かな
 世界の諸相や諸事象と相対しながらも、ときに身体性に還元される言葉。それは、世界を血肉化するための方法であるとともに、自己という主体を世界に向けて投企することでもある。およそ私性に依拠することのない俳句において、これは、ひとつの、そして目覚ましい方法と呼ぶべきだろう。
    十方に無私の鰯を供えけり
    我が死後も掛かりしままの冬帽子
    しばらくは仏に近き葱の花
    白桃や聡きところは触れずおく
    落椿肉の限りを尽くしたる
    鳥葬の傍らにあり蛇苺
    原発の湾に真向かい卵飲む
 曾根毅の俳句の特徴は、自らの死後までをも見透かそうとする終末感と、その危機的な状況を前に、事象がありありと受肉化していくところだろう。
 あらためて、「俳句」という言葉はつくづく面白いものだと思う。「俳」とは、白川静によると、元々の字義が変わったことをして人を楽しませることであるというが、「人に非ず」と書く。曾根毅の句もまた、ぬるいヒューマニズムとは無縁であり、むしろ、人間が世界の諸相に接ぎ木され、解体されていくようなところがある。そのことによって、世界は面目を禍々しくも一新させるのだが、それは危機の時代の優れた詩のひとつのあり方なのだと思う。
 *
『花修』断章齋藤愼爾 
 私たち選考委員が候補者について事前に知っている情報は、芝不器男俳句新人賞の応募資格である年齢(四十歳未満)だけである。この四十歳未満という情報も曖昧模糊極まりない。十歳位のランドセル小学生かも知れないし、四十にして惑わずの不惑(四十歳)かも知れない。性別、職業、俳歴、住所も不明のままの状態で、この賞は決定される。
 たとえば四十歳と知らされて、内心、「それにしては幼いな」とか、「四十でかくも深遠なる思想を五七五に包含=象眼しえたとは!」と感嘆するといったことは当然、事前には出来ないことになる。芥川賞、直木賞、三島賞などは全て情報が開示された上での選考である。俳句賞の場合、作品を理解するのに、情報はあった方がいいのか、なくても困りはしないのか、どうか。
 さて、受賞作前後の作品が追加されたこの『花修』から、私が選んだ佳句は以下の通り。
    〔花の章〕
    立ち上がるときの悲しき巨人かな
    春の水まだ息止めておりにけり
    滝おちてこの世のものとなりにけり
    何処までもつづく暗黒水中花
    暴力の直後の柿を喰いけり
    冬銀河本日解剖調査拒否
〈春の水〉の句は長谷川櫂の〈春の水とは濡れてゐるみづのこと〉が人口に膾炙しているが、この句もすてがたい。〈冬銀河〉は〈僕ですか死因調査解剖機関監察医〉(鈴木六林男)が念頭にあろう。〈暴力〉の句は傑作。歌人斎藤史の父である斎藤瀏や若き友らが二・二六事件に連坐したとき。史が発表した〈暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた〉を連想すれば、この句の〈暴力〉が、家庭内暴力から学校でのいじめ、さらには国家(支配権力)のそれをも暗示するという拡大解釈を許容するものとなろう。史の歌については「暴力の美しさというものを、これ程までにたおやかに表現した歌は、殆んど他にみられない」という村上一郎のすぐれた指摘が遺っている。
    〔光の章〕
    体温を憶えておりし冬菫
    佛より殺意の消えし木の芽風
    さくら狩り口の中まで暗くなり
    手に残る二十世紀の冷たさよ
 むろん〈佛より〉の句が傑作だ。佛と殺意について私見を一つ。大徳とも菩薩とも呼ばれ、人々の尊崇を集めた高僧、行基大徳が障害のある子供を慈しむ母親に対して子殺しを強要する。人々はこれを聞き、「慈悲深い聖人が、どういう理由でこんなことを言うのか」とささやきあった……。「佛に逢はば佛を殺し」など仏話には殺気というものが満ちていることを知らねばならぬ。
    〔蓮Ⅰの章〕
    薄明とセシウムを負い露草よ
    風花の我も陥没地帯かな
    山鳩として濡れている放射能
    中空を真闇と思う立葵
    白桃や聡きところは触れずおく
    菊人形水を隔てているような
    〔蓮Ⅱの章〕
    明日になく今日ありしもの寒卵
    落椿肉の限りを尽くしたる
    徐に椿の殖ゆる手術台
    人日の湖国に傘を忘れ来し
    曼珠沙華思惟の離れてゆくところ
〈明日〉の句。卵は内に激動と暴力の萌芽を秘めている。ユング心理学によれば、卵は復活と未来生活のシンボルだとか。不安と恐怖の現代に対する表白である。〈曼珠沙華〉は〈鶏頭を三尺離れもの思ふ〉(細見綾子)の本歌取りか。
    〔蓮Ⅲの章〕
    原子まで遡りゆく立夏かな
    三界のいずれを選ぶ油照り
    鶏頭を突き抜けてくる電波たち
    千手千眼一瞬にして紅葉山
〈原子まで〉の句に瞠目。人間はなぜ物質の根源を探求しようとするのか。知の原罪とでもいうべきか。その欲求が量子力学の研究に拍車をかけ、素粒子理論を確立させ、その結果が、ウランの原子核に中性子を吸収させ、核分裂を引き起こすことによって巨大なエネルギーを生みだす原子力の開発を見る。人間は物質が原子からなり、原子が電子からなり、電子が陽子や中性子からなるということを明らかにせずにはいられなかった……。八月はヒロシマ、ナガサキに原爆が炸裂した月である。
 ブルトン風の詩的インスピレーションの暗喩の連鎖が向後、果たして十七文字詩型に堪えられるものかどうか、一抹の危惧を覚えないわけでもない。詩・短歌・俳句は今でも重要な日本語の三位一体、〈三種の詩器〉である。私は『花修』の作者には、詩か短歌もあるんじゃないと囁いてみたい気がする。萩原朔太郎、中原中也、吉田一穂、吉岡実らが一様に短歌から詩に移っていったように、俳句から短歌、詩への道もある、とこの才能ある〈新人〉には言ってみたい。

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