歌集 びあんか/うたうら

びあんか/うたうら   〔合冊のケース〕

びあんか   歌集『びあんか』

うたうら    歌集『うたうら』

新書判/全2冊・セットケース入り(分売不可)
本文各120ページ
装丁=高林昭太
発行日:2014/12/14
定価:2000円+税
セットISBN
978-4-88032-417-3 C0092

水原紫苑著

水原紫苑(みずはら・しおん)プロフィール

歌人。1959年、横浜生まれ。1986年、早稲田大学仏文修士課程修了。春日井建に師事。近刊に歌集『光儀(すがた)』(2015年刊行予定、砂子屋書房)。
著作(歌集、随筆・評論集、小説集、伝記小説)、および受賞歴は次の通り。
【歌集】
 『びあんか』(1989年、雁書館)現代歌人協会賞受賞
 『うたうら』(1992年、雁書館)
 『客人(まらうど)』(1997年、河出書房新社)第1回駿河梅花文学賞受賞
 『びあんか・うたうら』(1998年、雁書館、2in1シリーズ④)
 『くわんおん』(1999年、河出書房新社)第10回河野愛子賞受賞
 『いろせ』(2001年、短歌研究社)
 『世阿弥の墓』(2003年、河出書房新社)
 『あかるたへ』(2004年、河出書房新社)
   第5回山本健吉文学賞・第10回若山牧水賞受賞
 『さくらさねさし』(2009年、角川書店)
 『武悪のひとへ』(2011年、本阿弥書店)
【随筆・評論集】
 『星の肉体』(深夜叢書社、1995年)
 『空ぞ忘れぬ』(河出書房新社、2000年)
 『うたものがたり』(岩波書店、2001年)
 『京都うたものがたり』(ウェッジ、2004年)
 『歌舞伎ゆめがたり』(講談社、2009年)
 『桜は本当に美しいのか――欲望が生んだ文化装置』(平凡社新書、2014年)
【小説集】
 『生き肌断ち』(深夜叢書社、2010年) ※この最終ページにオビ文を紹介
【伝記小説】
 『あくがれ――わが和泉式部』(ウェッジ、2012年)

歌集『びあんか/うたうら』の栞に掲載

「遥かかなたを見る歌」………………蜂飼 耳
「乙女の匂いがなくなる年」…………水原紫苑

合冊ケースの惹句

〔表〕まっさらな歌の領土へ発つ者―――春日井 建
   〈透明伽藍〉とでも呼ぶべき夢幻的な美しさ―――高野公彦
   三十一文字が射止める、始まりも終わりもない現在―――蜂飼 耳
〔裏〕「ここではないどこか」へ飛ぶことを願う魂――
   新しい〈うた〉の誕生を告知する第一、第二歌集をまとめた決定版。
   詩人・蜂飼耳による書き下ろしエッセイ「遥かかなたを見る歌」、
   著者のあとがき「乙女の匂いがなくなる年」収載の栞を附す。

「乙女の匂いがなくなる年」(「あとがき」として栞に掲載・抜粋)

 第一歌集『びあんか』を出した時、私は三十だった。太宰治流に言うと、乙女の匂いがどこにもなくなる年である。
 だが今回、第二歌集『うたうら』と合わせて読んでみて、自分で言うのも恥ずかしいが、ずいぶん乙女だったなあ、と思った。歌とか言葉とか魂とか、そういうものをまっすぐ信じていたのだろう。そして自分自身をも。
『びあんか』を出したら死のうと思いつめていて、その理由は忘れてしまったが、それくらい自分と歌を信じられたのである。
 今の私は全く違う。歌も言葉も魂も、何ひとつ確かでないし、ましてや自分など信じることはできない。
 もちろん、信じようとするから生きて書くわけだが、「お前など何者でもない」「生きる意味などあるのか」という、重い空気の圧力が日々のしかかって来る。
 愛犬さくらや、大好きな着物たちのように、言葉を持たない優しいものたちにふれて、抱きしめ合って、その日その日を生きている。
 だからこそ、まるで別人のような二十五年前の自分を、よみがえらせてみたくなった。 『びあんか』と『うたうら』を単行本でそれぞれ出してくださったのは、雁書館という出版社で、主は現代短歌のプロデューサーのお一人であり、映画研究家でもあった冨士田元彦さんだった。単行本がなくなってから、二冊を合本としてシリーズの一冊にして下さったのも冨士田さんだった。だが、やがて二〇〇九年に冨士田さんが逝去され、雁書館もなくなって、本は日の目を見なくなってしまったのである。
(中略)
 最後に、銀河の彼方の春日井先生、『びあんか』には散文詩のような美しいはなむけの言葉を、合本には入門の頃からの私を語って下さったあたたかい解説をありがとうございました。今しばし、ここに居ります。
 春日井建先生、冨士田元彦さんの安らかな日々をお祈りしつつ、未知の読者を求めて!

「もう一人の、本当の〈私〉――『びあんか』の世界」 高野 公彦
                         (雁書館刊『びあんか』所収から)

 早稲田大学出身の女流歌人といへば、ひところまでは道浦母都子さんぐらゐしか知られてゐなかつたが、さいきんなぜか二十代、三十代の若い女流歌人の中で早稲田出身の人が増えてきた。名前を挙げると、小島ゆかり・水原紫苑・米川千嘉子・俵万智・紀野恵である。いちばん年長の小島もまだ三十を少し過ぎたところ、最も若い紀野は二十代前半である。早稲田五人娘――と私はひそかに呼んでゐるが、既婚の人もゐるから娘といふのは適当でないかもしれない。この五人の乙女たちがそれぞれ優秀な歌人として成長する土壌となつた早稲田大学文学部といふ場所を、私は不思議な気持で思い浮かべることがある。
   *
 ・光線をおんがくのごと聴き分くるけものか良夜眼(まなこ)とぢゐる
 ・針と針すれちがふとき幽(かす)かなるためらひありて時計のたましひ
 ・菜の花の黄(きい)溢れたりゆふぐれの素焼の壺に処女のからだに
 ・喉白く五月のさより食みゐるはわれをこの世に送りし器
 ・炎天に白薔薇(はくさうび)断つのちふかきしづけさありて刃(やいば)痛めり
 私が初めて水原紫苑の歌を読んだのは、昭和六十二年であつた。その年、短歌研究新人賞の選考委員の一人であつた私は、多数の応募作を読む過程で右のやうな作品を含む「しろがね」一連三十首に出会ひ、その繊細透明な抒情に惹かれ、これを上位に推した。最終的に、受賞したのは荻原裕幸と黒木三千代の作品であつたが、水原紫苑の作品に出会へたことは私にとつて喜びであつた。彼女の作品について、
「現実と幻想の、どちらともつかぬ、そのあはひの薄明にあそぶたましひの歌、といへるであらう。この世に生まれ出たことに対する否定のこころが、多くの歌の中に息づいてゐる。だが作者は、現実に対して歯をむき出して逆襲することはせず、薄明の境にひそんで淡い毒のある抒情歌をつくり出す。」(昭和62・9「短歌研究」)
 と私は短評を書いた。この評は、作者名が発表される前に書くことになつてをり、従つて作者の年齢も性別も不明のまま三十首の作品だけを材料として書いた感想である。「しろがね」三十首は、作者の性別が判りにくく、女性といふ印象は薄かつた。かと言つて男性だと思つたわけでもない。あるいは、十九世紀の世紀末のアール・ヌーヴォーやラファエル前派の絵画にひそむ両性具有(アンドロギュノス)的な世界に近いかもしれない。
 ともあれ私は、かすかな風にも直ぐ傷つきさうな、内向的で繊細な魂の息づきを感じて、深く惹かれたのであつた。
 (中略)
 惹かれた歌を一部挙げてみる。
 ・かぎろへば滝つ瀬やさしみづからを滝と知りつつ砕けゆくなり
 ・風狂ふ桜の森にさくら無く花の眠りのしづかなる秋
 ・坂下るわれと等しき速さにて追ひ来る冬の月の目鼻や
 ・球体に暫時宿りてあはれあはれ稚き神が毬をつくこゑ
 ・殺してもしづかに堪ふる石たちの中へ中へと赤蜻蛉(あかあきつ) ゆけ
 ・方舟のとほき世黒き蝙蝠傘(かうもり)の一人見つらむ雨の地球を
 ・喉(のみど)ゆく葡萄のひとみ眺めしは神にあらざる黄昏びとや
 ・死者たちに窓は要らぬを夜の風と交はる卓の薔薇へ知らせよ
 ・からまつの天に向かひて落ちゆけり神やはらかに梢(うれ)を引く朝
 この現世を規定してゐる時間と空間の枠組を超え、作者は自由に大きな時間・空間を往き来してゐる。滝を眺めながらふと滝に同化したり、秋の桜の森に華麗な未生の花を思つたり、また月の目鼻を幻視したり、まさに自在に作者の魂は遊行(ゆぎやう)する。
 (中略)
 ・桔梗(きちかう)に真向かふ父や母あらぬ昔もわれの父なるかなし
 ・いにしへは鳥なりし空 胸あをく昼月つひに孵(かへ)らぬを抱(だ)く
 ・沼沢は滅び去りしを駅頭に杳き水面(みなも)の愁ひたゆたふ
 ・呻吟は水のごとしもひたひたと家(や)ぬちの壺のいづれにも満つ
 ・美しき脚折るときに哲学は流れいでたり 劫初馬より
 ・にんにくと夕焼 創りたまへれば神の手うすく銀の毛そよぐ
 ・顔おほふ花束持ちて来る者は水上(すいじやう)をゆくごとく歩めり
 ・水浴ののちなる鳥がととのふる羽根のあはひにふと銀貨見ゆ
 ・舗道(いしみち)に棲むたましひも秋となり馬なりし世の声ひびかする
 この世の美、この世の謎に向けられた、尖鋭で柔かい眼差しがどの歌にも感じられる。
 歌のつくりは端正である。韻律も乱れがなく繊麗である。集中に「透明の伽藍のごとく楽章がその目に見ゆる青年を恋ふ」といふ歌があるけれど、水原紫苑の創り出す歌は〈透明伽藍〉とでも呼ぶべき夢幻的な美しさを具(そな)へてゐる。
   *
 ・足拍子ひたに踏みをり生きかはり死にかはりわれとなるものを踏む
「扇・長月」といふ一連があつて、能のことが詠まれてゐる。能について私はよく知らないが、「舞ふ」といふ語が出てくるから、水原さん自身が仕舞(しまひ)などをやるのだらう。
 舞ひながら、とん、とんと舞台を踏む。舞台の下から、とん、とんと反響(こだま)が返つてくる。舞台の裏側に、もう一人の自分がゐて、同じ足拍子で舞台を踏んでゐるのだ、その自分を私は踏んでゐる――といふ歌であらう。ふしぎな感覚である。
 古代ギリシャに、対蹠人(たいせきじん アンティポドー)といふ考へ方があつた。大地の裏側に、自分と相似形の人間がゐて、蹠(あしうら)を合はせながら生きて動いてゐる、といふのである。
 実像と等身大の虚像が反世界にゐる、すなはち異界に自分と同じもう一人の自分がゐる、といふ思ひが、水原紫苑の根本的な詩的思想なのではなからうか。その、もう一人の自分を探して、彼女の魂は遊行するのだ。
 BIANCA(イタリア語)、意味は〝白の女〟だといふ。何か出典があるのだらうかと訊ねたら、特にないと水原さんは答へた。彼女は早稲田で仏文科にゐた人だから、こんな外国語がしぜんに出てくるのだらう。
〝白の女〟といふ言葉は、時間・空間の枠を超えて遊行する水原紫苑自身のまつさらの魂をイメージングしてゐるやうに思はれる。〈もう一人の私〉、それが〈本当の私〉かもしれない――この思ひが彼女の魂を飛翔させる。さうして、その魂が目撃した美しくて謎に満ちた時空が、すなはち『びあんか』の世界なのである。

「解説」 春日井 建   (雁書館刊 2in1シリーズ『びあんか・うたうら』所収から)

 水原紫苑は、昭和六十年代のはじめ、突如として歌をはじめ、「短歌」(中部短歌会)誌上に「三十一文字で、ここではないどこかへ飛べたら、とだけ思います」と書いた。その願いどおり、彼女の作品からはふしぎな歌空間がひろがり、「ここではないどこか」が見えた。それは天稟としか言いようのないもの、努力して得られるものとは異なり、彼女がはじめから身にそなえているものだった。
 水原紫苑のもっとも初期の作品で、その歌集『びあんか』の一首として有名となった滝の歌がある。彼女の歌の出立を語るこの清冽な一首について、私は時折りおもいめぐらすことがある。

  かぎろへば滝つ瀬やさしみづからを滝と知りつつ砕けゆくなり

 ことばは平易で、律調も整っている。一読むずかしい歌とは思われない。しかし、どう解釈すればいいのだろう。
 初、二句までが「ここ」の景色であり、三句以下でもう一つの世界へ飛ぶ。「みづからを滝と知りつつ砕けゆくなり」である。つまり、滝への変身として読むことができる。
 しかし、この一首はこうも読める。「かぎろへば滝つ瀬やさし」と歌い起こしたとき、作者はすでに存在を消している。「みづからを」というのは滝つ瀬が自身について言っているのであり、「かぎろふ滝つ瀬」は、その安らぎもつかのま、滝としてそれを知りながら砕けてゆくほかないものなのだ。みずからの運命(というと、言葉が強すぎる。滝としては自然なことなのだから)へ従容としてしたがう滝の、淡々とした描出、――おそらくこう解釈する方が作者の思いに近いだろう。常識的に見れば、みずから砕かれてゆくという行為は、「やさし」などと表現するには程遠いことのはずなのに、この人はそれを納得させてしまう。砕身の劇(はげ)しさ、潔さを、彼女は「かぎろへば」と歌い起こすことによって、春のやわらかさ、やさしさとして提示している。
 歌人水原紫苑もまたこの滝つ瀬のようにやさしくかげろっているかに見える。しかし、彼女にとって歌うという行為はみずからをそれと知りながら砕けてゆくことにほかならない。
 この一首のほかにも、初期のころの歌で私は忘れがたい作品が幾首かある。わけても次の二首は歌集に採られていないので、よけい心に残るものである。

  切り髪の稚児千人を放てども紅旗しだるる京なりしかな
  白髪(はくはつ)のひひな見しゆゑ出づること叶はぬ春の一間もあらむ

 まず、一首目、切り髪の稚児千人がやさしく、妖しく放たれた。だが、異変の気配はどうも鎮められるものではないようだ。定家の「紅旗征戒非吾事」を背景にしながら不穏な京が顕在化している。いや、紅旗はたためいているのではない。しだれている。ということは、稚児千人が放たれたのはむしろ異変を挑発するためだったのかもしれない。そうだというのに旗はなお立つことがない。二つの解釈は不穏な京という点では共通ながら、中味は逆でそのどちらも捨てがたいものがある。それにしても、「稚児千人を放てども」とは一体だれが放ったのか。作者なのか、それとも作中の何者か、あるいは京自身なのだろうか。彼女はそれをまるで眼前で見てきたようにうたう。
 もう一首も興味ふかい。白髪のひひなを見たのはだれか、作者か、それともここでも作者から離れた作中の魂なのか、その人は夭(わか)いのか、老いているのか、それともこの春の一間から出ることの叶わぬ影とはとうに死んでしまっている人なのか。このあたりの曖昧さは、修辞の危うさでもあるけれど、危うさがそのまま詩の効果としても機能している。どちらも怖ろしい歌である一方、美しい歌である。

 第一歌集『びあんか』が編まれるとき、私は水原紫苑と時間をかけて話しあった。どの一首を歌集冒頭に置くか。どの章を最初にもってくるか。それは遊びのような楽しい時間だったが、その時の話の一つに、私が題材や素材の似たものを並べることをすすめたとき、彼女はやさしくかげろうような微笑を浮かべていたけれど、どうも賛成ではなかった。そして私が深く理解したことがある。それは、水原は物語作者ではない。ストーリーテラーではなく、歌一首のうちに魂(思想と言ってもよいかもしれない)を放りこむ。遊びながらにも砕身のはげしさをもって歌に没入する。だから、たとえ似た題材や素材であっても、一首一首はまったく独立したもので、その一首は、前の歌とも後ろの歌とも切れた何の関りもないものだ、と言うことである。
『びあんか』は平成元年に上梓された。好評だった。そして翌年「現代歌人協会賞」を受賞した。同じ年、私どもの結社の「短歌賞」を受賞した。その折りの彼女のことばを引用しよう。
「情、なさけ、おもい、こころ、そうしたやわらかいものがあふれ出るのが、何とも悲しくはずかしく、それを必死にせき止めようとして選んだのが短歌形式だったような気がする。せき止めるからと言って、誰にも何も伝えないわけではなく、定型の器の中でたわめなだめて、やっとてのひらに載せられるまで熱を冷ました心を、こわごわ会う人ごとに渡していたのだ」
 水原の繊細な歌のありようが伝わる率直な言葉である。だが、この言葉のやさしさは「かぎろふ滝つ瀬」のやさしさであり、やがては、この情は、心は、歌となってしぶきながら砕けてゆくのだ。せき止められたものはそれを越えるときさらにはげしい。
『びあんか』の作品は謎めいた表現によってその鑑賞を誘うものが多い。もう数首見てみよう。

  汚名また美しきかな江青はいかなるひびきの河にありしや
  雪降らぬ島々の子に死者の顔覆へる白をいかで教へむ
  前の世のわれは刺客か雪の夜の掌(て)に水仙の茎萎えゆけり

「江青」の一首は、文字に鋭敏な作者が江青一文字から名は体をあらわす態の展開を見せている。毛沢東夫人、あの四人組の一人江青を、汚名また美しきかな、とうたって、黄河や揚子江など大陸を流れる河とはまた別の幻の大河を現出させた。現実を大事にする読者からは非難を浴びそうな気がするが、なまなかな干渉を受けつけない領分で、作者の言語感覚が造型した歌空間である。
 二首目も印象ふかい歌である。一読、私は雪白という言葉を思った。死者の顔を覆う布を知らない島々の子にあの冷たい白をどう伝えたらいいだろう。あの子たちは雪を知らないのだから、と言葉どおりに意味をたどっても一首を鑑賞したとは到底言えないだろう。一首は意味よりも、死をめぐるイメージの清浄さを写すために、子供たちも島々も白布もそして雪も使われているのだと思われる。
 三首目も面白い。雪の夜のこと、「われは刺客か」と言ったとき、握っている水仙の茎は白刃に変容すべきイメージなのだが、逆に萎える。前の世で刺客はその命をはたし得たのか、得なかったのか。ともかく時空をへだててその罪咎のために水仙の茎は萎えた。
 これらの歌は、水原の願いを託されて、それぞれ確実に「ここではないどこか」へ飛んだ作品である。非在の河、非在の白布、非在の白刃が歌の中で息づいている。
 もう一つ、水原の作品中、忘れられない領分の歌がある。醒めた官能性とでも呼びたいエロチスムの世界である。

  菜の花の黄(きい)溢れたりゆふぐれの素焼きの壺に処女のからだに
  まつぶさに眺めてかなし月こそは全(また)き裸身と思ひいたりぬ
  炎昼のいづこ真白き芯ありて百合をかかぐる乙女のかたち

 彼女のこうした無垢にして大胆な歌を読むと、私はピエール・ド・マンディアルグの小説『海の百合』の主人公ヴァニーナを思い出す。彼女は他人の干渉をまったく受けつけないで自分の思うところにつきすすむ。そして水原もまた彼女の表現したいものに向けてまっすぐにつきすすむ。
 紙数が尽きた。第二歌集『うたうら』に言及することはもうできない。ただ一つ、この歌集には「歌占」とか、「アンドロマケ—トロイア異聞」といった連作風の形をとった作品が登場しているが、これも一首一首独立したもので、その砕身の作風は何ら変ってはいないことを記しておこう。
  (後略)

※ 水原紫苑小説集『生き肌絶ち』オビ文   (2010年・深夜叢書社刊)

生き肌断ち





四六判上製カバー装
本文280ページ
定価2400円+税
ISBN978-4-88032-306-0 C0093

稀代の歌人による初の小説集
幻想と怪異の岸辺へ誘うタペストリー


春日井建、三島由紀夫を鎮魂する『銀河』、
入水した平家の公達に沖縄戦の死者を重ねた『伊勢佐木町』、
歌人としての己れに死と禁忌、性と巫呪を焚き込めた表題作など、
超現実の彼岸に誘う眩暈の14篇は、上田秋成、泉鏡花、折口信夫ら、
バロック=マニエリスム文学系譜の最も豪奢な達成である。

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